3月13日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでジャン=リュック・ゴダール監督の「軽蔑」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでジャン=リュック・ゴダール監督の「軽蔑」を観る。
1962年 フランス、イタリア 105分 カラー Blu-ray 日本語字幕
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
原作:アルベルト・モラビア
撮影:ラウール・クタール
録音:ウィリアム・ロバート・シヴェル
編集:アニエス・ギュモ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ブリジット・バルド、ミシェル・ピッコリ、ジャック・パランス、フリッツ・ラング、ジョルジア・モル
ヌーヴェルヴァーグを代表する一人は以前にパソコンで「気狂いピエロ」などを観たことはあったが、凄い監督だとは思わなかった。むしろよくわからない映画だと首もかしげなかった。
ところがスクリーンの前でこうして観てみると、画面の色合いやカメラワーク、音楽の使用頻度やタイミングなど、今まで知っていた映画監督とは異なる特徴を持っていることがはっきりした。ストーリーを綺麗に述べない台詞や編集など、たかが数本観ただけでこの監督の特徴などと断言できないが、「気狂いピエロ」でも感じていた不可解な要素が多分に共通しているのがわかり、それらが独特な情感として言葉ではつかみにくい表現を生み出していた。
以前ドキュメンタリー映画でゴダール監督の会話を撮り続けていた作品を観たことがあり、脈絡なく話が飛びに飛ぶ複雑な語り口はこの映画の作りそのものと似ていた。もちろん人物が同じという確証があってのこじつけになるが、とあるトピックに対してのぶつかり方が分裂的ながら執拗であり、その迫り方が高度な思想体系の発露のように難解に思える。包含する内容が多様だからこその生彩があり、今日の映画での前半から中盤における長々とした家の中でのシークエンスは、「軽蔑」という作品名を描くのに見事な真偽の反復が行われいて、お遊びと思われるほど服を脱いだり着たりしながら会話が続けられ、互いの関係性をやすやすと結びつけない。冒頭のベッドシーンの印象を植え付けられた観客からすると、前半の典型的なアメリカ人らしい人物とのやりとりからして不穏があり、それがそのまま飲み込めないほど容易にならない演技と編集になっている。
ときおり場違いと思われるほど同じ音楽が流れ、瞬間的に切られたシーンのあとに挿入されると、ただ音の印象だけで情感がだまされるような時もある。ギリシャ神話を絡めた軽蔑についての迫り方も非常にうまいところがあり、鼻につくと思われそうな引用の数と内容は含蓄に溢れていて、小道具も含めた多くの映画的な要素がふんだんに詰め込まれているので、教養があればさらに味わえるのだろうが、少しばかりかじった点があるだけでも映画のうまみは増すだろう。
カプリ島の素晴らしい景観とこのうえないロケ地での各ショットだけでも十分に見応えはある。そこに「ユリシーズ」を連関させての男女間のやりとりは、嘘のようで真実が描かれていた。
おそらくほんの少しもすくい取れないほどの仕掛けで組まれた映画なのだろう。今になってこの有名な監督の一辺を名前で飲み込むのではなく、作品でもって見上げることになった。
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