3月13日(土) 広島市中区八丁堀にあるところ焦がし焼きそば店「焦がし焼きそば 嬉一」で飲んで食べる。

広島市中区八丁堀にあるところ焦がし焼きそば店「焦がし焼きそば 嬉一」で飲んで食べる。


映画を観終わって携帯電話を調べると、「焦がし焼きそば 嬉一」さんにいるとの連絡があったので、すこし考えたあと、明日の休みを理由に寄ることにした。


誰でも疲れる事があり、どんな理由にしろピークの訪れる時は必ずあるらしく、今日はまさにその手痛い一日として自分に与えられた。


こんな日は普段気にならないズレが荒々しく擦れるらしく、人間だからミスがあるという言い訳にしてはいけない文句を頭の中で唱えては陰で笑い、どうにか心的負担を減らす他ない一日となった。たとえ自分の仕事のミスを記録につけていて、季節によってムラはあるにしても、平均すると月に一つか二つのペースとなり、ある時は集中し、またある時は二三ヶ月ない時もある。ところが一日に三つもやってくると、仕事の内容を疑われる。それは仕方ない、しかし普段の成果を昨日に置き去りにして週末と突発的なストレスで問いつめられても、それぞれ違った日に起こした間違いが一遍に同じ日に集中したわけで、それらを考慮してもらうなど求めてはならないのだろう。


時には愚痴も弁解も言いたくなる。特に酒が入った時はそうだ。


「焦がし焼きそば 嬉一」さんに着いて、まず空腹を満たすべく赤なまこと焦がし焼きそばを食べ、それから辨天娘、玉櫻、玉川と飲みながら、新タマネギとがつのポン酢、青菜の玉子炒め、味噌漬鯛焼き、肉豆腐を食べる。どれも腹に早々と染みる。


週末の疲れを気楽に癒せばいいものを、観てきた映画の影響か理屈っぽくなってしまい、ついつい話題は眉唾物になってしまう。疲労はあらゆる感覚を狭めるので、許容は無機質なほど冷徹となり、無関心の幅だけが広くなる。


やはりこんな時はズレが著しい。たぶん自信の喪失を認めようとせず、無理に回復へ向かうからこそ歪みが言い訳を隠し、別の手段で誰かを納得させようと躍起になっては、誰かをくさすのだろう。


誰しも持っているズレが神経をやたらめったら突き刺してくる。子供の頃からのコンプレックスと悩みも顕在化して、口下手と文章の長さの表裏の違いがそのまま日常生活に対比され、どうしてこれほど長広舌で伝達をするのかと訝しがる。


そんな事を話し、自分の存在を問えば、鏡という評価をもらう。普段から見飽きた周囲の鏡ではない、反射ではない一個人の意見が聞きたかったのに。駄目な日は何をやっても駄目な日で、そんな時こそやけに愚痴だけが絶好調で物語るのだから、どうもしようもない飲み食いだ。

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