3月1日(月) 広島市中区本川町にある日本料理店「季節料理ながせ」で飲んで食べる。

広島市中区本川町にある日本料理店「季節料理ながせ」で飲んで食べる。


三月に入ってラジオでは実をつける桜が満開になっていると話されていた。どうも今年は一ヶ月前倒しの季節と気分になっており、目のかゆみも慣れてそろそろ落ち着いてくるような気配さえ感じてしまう。


そんな月始めと仕事始めの月曜日は、朝から「季節料理ながせ」さんへ行くことを期待していた。昨晩の酔いと夜食のせいで腹は吐き出してばかりいたなんとも冴えない午前ではあったが、午後は自分なりにしっかり体を動かしたつもりで、飲み食いするのに適した仕事後となっていた。


ただ店に行く前に一年半ぶりとなる歯医者さんでのクリーニングがあり、コロナウィルスにかこつけて医者代を渋っていたが、唯一乳歯のまま残る右の糸切り歯は昨年オリーブの種を思いきり噛んでしまい、欠け、揺らぎ、根のないか細い歯は血を流しながら今にも抜けそうになって再び歯肉に定着するまで約三ヶ月を要したので、その欠けたところが黒ずんで虫歯のように気になっていたので、治療することも兼ねての来院だった。


結局虫歯ではなく、目をつぶってマッサージを受けるように歯の工事をしてもらい、心身リラックスしたところで「なか卯」のミニ牛丼を食べ、意気揚々と緊張を持って「季節料理ながせ」さんへ歩いて行った。


自粛期間後の再開としてやって来た「季節料理ながせ」さんはまだ数回しか訪れたことはなくても、変わらない美味しさとなっていた。むしろ季節によって提供される料理は変わり、目立って早い今年の春の兆しを体感するように苦さを持った溌剌とした緑の味を感じることになった。小魚の腹わたと身は対比ではない共生のように、爽やかな白い甘みと濁りない内臓の苦味の兼ね備えのようで、それは山菜の芽の天ぷらも同様で、菜の花のおひたしも似た性格を持っていた。


栃木の仙禽雪だるま、茨木の森嶋、三重の而今を利き酒セットで冷たく飲み比べ、細かく手の込んだ前菜から口にする。フキの持つ調べが目を覚まさせるようで、春を目の前に祝うようなアサリの汁や、暗くない煮こごりや貝の風味の染み込んだ豆腐に冷たい酒がとても合う。


それからはすぐに酔っ払い、早々と意識が宙に浮かんでしまう。ヨーグルトに漬かったしめ鯖が特に味わい深く、肉厚の刺し身は勢いと強さのある醤油によく絡んで噛みごたえを長く楽しませてくれる。


熱燗は日置桜の山眠る、御祖酒造の遊穂、そして美吉野酒造 の花巴となり、料理は肉の椀、焼き牡蠣に白子入りの茶碗蒸し、若い命の天ぷらとなる。さすが日本料理の仕上がりと思ったのが肉で、箸であっさりと切れて崩れることなく口に運ばれ、単なる柔らかさとは異なる繊維の広がりがとても大きくゆったり繋がり、肉は余分な臭みを落とした脂も一緒になって抜けすぎることなく旨味を残していて、とろけるとは違う細密な味となっていた。


締めの焼きおにぎりを頬張り、香りよい茶漬けに表情をへんてこに熱を逃している頃には、大将のネタが披露される。インド人の画商の話から、自粛期間中にたまたま目にした爺さん婆さんの話となり、まるで何かの報せのように寄越されたような人物との遭遇は、ほとんど関係ないが「小僧の神様」という内容をとうに忘れた小説が思い出されるようで、日常にそのまま生活している人たちが何気なく行動していて、それが誰かの司令のように伝達をしていることがどことなく感じられた。ここで条件となるのが受けて側の感受性と心で、結局本人の本心が誰かに役割を持たせて惹き寄せ、自身の生き方に活かされるように働くのだろう。もちろん怠け者は何も見ることなく過ごしてしまうのだろうが、明敏な感度の良さが、日本らしからぬ珍しいインド人画商の小話も生むわけだ。


すっかり酔っ払ってつい声も大きくなってしまうが、こうして「季節料理ながせ」さんで美味しい料理と酒にだらしなく気取った本音を漏らすことができるのだから、今のこの瞬間はかけがえのない成果のように思える。


今日も本当に美味しい料理と酒と小話に酔い、歩いて帰る近所の道は小雨にもならない程度で、空鞘稲生神社には針葉樹の香りが漂う爽やかな夜となっていた。

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