2月20日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでガッサーン・ハルワーニ監督の「消された存在、_立ち上る不在」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでガッサーン・ハルワーニ監督の「消された存在、_立ち上る不在」を観る。


2018年 レバノン 76分 カラー・白黒 Blu-ray 日本語字幕・英語字幕


監督:ガッサーン・ハルワーニ


最近の休日の自分はナーバスな気質に向きがちで、平日の肉体労働後の闊達と疲労の狭間の方が好意的に映画を観れている。なぜか近頃は仕事後のほうが眠気に襲われることは少なく、休みの日は映画が眠くてしかたない。


今日の作品は睡魔を増長させる内容となっており、昨日までの人間味溢れるセリフと映像で構築されていたレバノン映画と異なり、コンセプチュアルという言葉がちらほらするような頭脳が先に走る形式となっており、真摯な映画らしい画面の色や人物の表情ではなく、映像作品としての表現に重きを置くような息苦しさが前に出ている。


おそらく平日の自分ならば映像から異なった感慨を受けただろうが、今日の自分はまず退屈を受け取った。おそらく気分として、何か感動に浸れる作品を望んでいたのだろう。しかし映画はフレーミングの美しさや編集の情緒を感じさせない印象となっており、ズームでポスターの裏に隠れる行方不明者を明らかにしていく作業が、例えそれがこの映画の主題としてのメタファーだとしても、冗長に感じられた。それはおそらく正しい反応で、表現と効果は監督の狙うもどかしさがあったに相違ない。


国家が関与しての大量虐殺と隠蔽は先月に観たチリの監督によるドキュメンタリー作品と似たところがある。ただ先月の映画に自分の心は通うことはあったが、今日の映画にやや反発さえ覚えたのは、平日と休日の差があるにしても、監督の語る気取りのスクリプトと遺族の意向による伝達としての匿名性の違いによるものだろう。前者は関連する内容を多く提示せずに重要な部分だけを切り取って作品に絞っているが、後者は証言の連続によって事件の持つ多面性と推移が浮き彫りにされていて、より人間の内面に迫り、強く訴えることなく弾劾している。


ラストにゴーゴリーの「死せる魂」や安部公房の作品を想起させる役所の手続きでの生存と死亡が描かれて、作品から受ける威力は紛れもないものだと感じるものの、それでも勿体ぶった映像作りがどうもこちらの意識を純に納得させない。それはイラストによる行方不明者の再生作業に多くの時間が費やされており、表現の新しさよりも、伝達としてのまっとうさをつい望んでしまい、もっと事件に関する情報が欲しくなってしまったからだろう。


ドキュメンタリーとしての訴えかけは強く、広範な取材も感じられるのだが、創意としての考え方と描き方と一緒に、結局語られるスクリプトの好みが自分の判断を分けたようだ。

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