1月29日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでノ・ヨンソン監督の「ユキコ」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでノ・ヨンソン監督の「ユキコ」を観る。


2018年 フランス 70分 カラー Blu-ray 日本語・英語字幕


今月の23日に観たトラヴィス・ウィルカーソン監督の「誰が撃ったか考えてみたか?」と似ているとは言えないが、監督本人のナレーションで映画を進めて自身のルーツを探っていくロードムービーのような今日の作品は、やはり自分の好みに合わない。ナレーションに文学的意味合いが前面に出ていて、詩情を持とうとするもののどうも甘く臭く、刃で突き刺す鋭利な研ぎがなく、それらしい言葉の繋がりがむしろ平凡のままとなっている。ノイズやシグナルを使用した音楽だけでなく、バッハのゴルトベルク変奏曲の借用も考えものだろう。


つい否定的になってしまうのは、70分という長くない上映時間に密度がなく、母親に焦点を当ててから日本の祖母に向かう内容に素材集めが足りていないように思えるからだ。画面はそれなりに構図も雰囲気もあり、鮮明な画面が綺麗に心情を映しているのだが、やや単調になっており、比べるとトラヴィス・ウィルカーソン監督の方が小細工を加えつつも他の映像の使用も含めたアイデアが豊富で、それだけ準備と材料集めに時間を費やしたように思える。


決定的に作品への距離を決めていたのは、太平洋戦争での韓国と日本における個人を扱っていた事だ。仮に他国の自分の知らない題材ならば目新しい内容に知識欲は顔を向けるが、戦時中に韓国に取り残された孤児である母親に、その娘である監督本人と、沖縄で生きて亡くなった祖母であるユキコという女性に焦点があたり、その捉え方が内面的なまま宙ぶらりんに終わっている。ドキュメンタリー映画らしく問題を掘り下げて視点を広げていく展開がやや足りず、取材したままを映像に貼り付けたような短絡的な面が特に沖縄でのシーンに散見される。それは日本人である自分からすれば学んできた内容に新たな一面を加えるのではなく、刷新にもならない皮相に触れるだけで終わり、ナイーブなナレーションがむしろ白けさせる。


ただ映画は時に優れたショットで作品から強い印象を残す。沖縄の老人ホームでの廊下の長回しは、とても歩けそうにないふくらはぎの細い老婆にフォーカスして、せむしになった体でよたよた歩いていく姿をいつまでも映している。そのショットだけで、伝えたい内容が何にしろ、優れたドキュメンタリーが内在されていた。

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