12月18日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで黒澤明監督の「酔いどれ天使」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで黒澤明監督の「酔いどれ天使」を観る。
1948年(昭和23年) 東宝 98分 白黒 35mm
監督:黒澤明
撮影:伊藤武夫
音楽:早坂文雄
美術:松山崇
出演:志村喬、三船敏郎、木暮実千代、山本礼三郎、中北千枝子、千石規子、笠置シヅ子、進藤英太郎、久我美子、殿山泰司、飯田蝶子、谷晃、堺左千夫
この映画はそう遠くない昔に観たことがあり、たしか映像文化ライブラリーだったような気はするのだが、自分の持っているアーカイブには記録が見つからない。ということは、パソコンとDVDで観たのだろうか。
とにかく内容を覚えている作品なので、新鮮に映画を前にするよりも、再発見の中で印象を塗り替えるような観賞となっていた。
それでも多くを忘れているようで、こんなシーンがあったのだと気づくことは多く、ただ完全に消え去っているわけではないので、思い出す速度は早く鮮明だ。それは高校二年生を二回過ごし、まったく同じ教科書で同じ内容を勉強するのだが、見落として新しく学ぶところもありながら、ここは覚えているからと先生の話を聞かずに気楽に授業を受ける余裕のようなものだ。
あぶくの湧き続ける沼を前にした舞台に医者が怒鳴り続け、貫禄あるヤクザの若造がポケットに手を突っ込んで強がってみせる。そこに結核と兄貴分の帰還が関連して物語は転落していくのだが、とにかく三船さんと志村さんのやりとりが良い。胸ぐらをつかむ、転がす、物をやたら投げて罵倒する。きつい思いやりと弱みを隠しきれない虚勢の対決がすこぶる爽快で、あくまで映画の中での虚構だとしても、鋭く破裂する怒号とずけずけ言うやりとりが気持ちよい。おそらく前に観たときは怒鳴ってばかりでうるさいと思ったが、他の作品で観る柔らかい志村さんの役柄と違って、高圧的に相手にぶつかる愚直な振る舞いはさすがの演技力ある一徹となり、唯一対峙できるのが三船さんだけのようで、顔立ちからして並でない山本礼三郎さんなど端役も存在感はあるのだが、ラストのペンキまみれになるアクションでは迫力が欠けており、前半に三船さんが志村さんを掴みかかる暴力的な瞬発力は乏しく、演技としての演技の正攻法がみえてしまい相手を負傷させるほどの荒っぽさは勝ることはできていない。それは役柄の違いかもしれないが、役者としての質ののさばり返る程度の差はどうしても感じてしまう。
前回観たときよりもはるかに好印象として残る作品となり、別人と思えるほど表情を変容させる三船さんの演技力と、似たような陽の役柄ばかりと思いこんでいた志村さんの貫徹ぶりが面白く、そして最後に向かう怒濤の迫力と上手さは黒澤明監督らしい魅力として非常に面白く再見することができた。
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