12月2日(水) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・能舞台で「万作の会 狂言会2020」を観る。
広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・能舞台で「万作の会 狂言会2020」を観る。
解説:深田博治
小舞
七つ子:内藤連
暁:中村修一
地謡:野村萬斎、深田博治、高野和憲
狂言
魚説法
新発意:野村太一郎
施主:飯田豪
後見:深田博治
棒縛
太郎冠者:野村萬斎
主:深田博治
次郎冠者:高野和憲
後見:内藤連
三密となって人形を操る文楽の公演はアステールプラザで行われなかったが、今年の末に狂言は演じられることになった。
毎年一回とあっても年をいくつか重ねればやはり鑑賞する感覚は身につくもので、今年は台詞の輪郭が以前よりも飲み込むことができた。わからないながらも毎日古文に接してそらんずることで、単語が何を意味したか厳密に理解することはできなくても、言葉の持つ音調の響きにどことなく味わいがつかめるようで、そこにやりとりの間のおもしろさが加わると、まわりを気にすることなく自然と自分の中から笑いがこみあげて、思わず手を合わせてしまうこともあった。
もはや構えることなく接することができた今夜の狂言は解説から始まり、小舞が演じられる理由と眼目がわかりやすく説明される。室町時代の流行歌だという七つ子と暁は、ませた子供の面白さと、朝帰りとなるも相手の可愛さに行きつ戻りつする心情が歌われているらしく、いざ舞台に登場すると、堅さと柔らかさという単純な違いを口にしてしまうが、重なった地謡の声と動きの緊張感に、形式として定まったにしても当時の世相がありありと蘇るようで、民謡のような強烈な叙情は控えられて、音調の重さに庶民の人の心が腰を据えるようだった。
座った位置は脇の4列目の端だったので、舞台と橋掛かりを45の角度で観ることとなり、橋を渡る動きに対して2階席とは異なる空気感で観ることができた。舞台を向いても照明が斜めから射し、以前の能楽で脇の席から観たことはあったが、この席は対角線による臨場感を味わうことができるせいか、演者それぞれの対峙や独白など、遠近による距離感で位置関係がつかめるようだった。
解説で魚の名前が出てくると教えられていたので、魚説法では間違い探しのように言い違いを見つけ、観賞者は魚が登場するたびに笑う流れとなっていた。一年ぶりの狂言とはいえ、他の劇舞台を観てきたせいか自身の中での物語の再現力がより身近になったようで、演者の違いはわからないが、演じる者の迫力はより見えるようだった。
棒縛りにおおいに笑ってしまった。縛られた二人の姿だけでいつまでもにやけるほどで、肩衣の白鷺がやけにおかしく、酒を欲して知恵を絞る二人のやりとりの軽妙さは舞台を忘れて実在を観るようだった。知る人ならばそこに流派によっての違いを観たりするのだろうが、自分としてはわりと崩したような親しみやすさを感じて、ひさしぶりに観た狂言の立ち位置をそもそも別に置いていたのかもしれないと考えたりした。
棒縛りでの舞は小舞とみるからに異なり、野村萬斎さんと高野和憲さんそれぞれの地謡の表情の違いも滑稽な物語の中で貫禄が表れている。やはり伝統芸能として培われてきた質は格別となっており、声に潜む生き物の自在な表現は顔同様様々に変化し、手足を含めた体の動きは限られた幅の中で完全に統御されている。
毎回素人の感想として形容する言葉が似たものとなり、書いていながら的外ればかりを感じてしまう。おもしろかった、笑えた、なんて率直に書けない爪先立ちが見苦しくても、毎年毎年決まったように感想を述べ続けていれば、いつか芸にでもなるだろうかなどと、昨年よりもはるかに知った気になった今年の狂言だった。
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