11月18日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで吉村公三郎監督の「自由学校」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで吉村公三郎監督の「自由学校」を観る。
1951年(昭和26年) 大映(東京) 104分 白黒 35mm
監督:吉村公三郎
原作:獅子文六
脚本:新藤兼人
撮影:中井朝一
美術:今井高一
画:宮田重雄
音楽:仁木他喜雄
出演:小野文春、木暮実千代、京マチ子、大泉滉、徳川夢声、英百合子、山口勇、織賀邦江、岡村文子、河原侃二、山村聡、殿山泰司
最近「サザエさん」という言葉が日常に使われた時があって、木暮実千代さんの髪型や人物造形はその時代らしかった。もちろん「サザエさん」と性格が似ているわけではないのだが、主役以上に魅力を持つ端役の個性がやや似ているのだ。
遠、中、近、口元と、小言を続ける木暮さんにカメラを近づけていく編集は古いのが目新しく、その調子からして形式張った苦しさを抜いたコミカルな雰囲気があり、家に帰ってから作品名を知って納得するような自由が表れていた。
自由という言葉に、呑気、気楽、型にはまらない、などの印象を持つが、すぐに浮かぶのは自己責任で、妻から家を出て行けと言われて出て行く夫の小野文春さんの自由には責任が感じにくい。家に残した妻を常に気にしてはいるものの、逃避や痴呆に近い描かれ方をしている。
そんな視点を持っていれば肩が凝ってしまい、平凡の外にいる登場人物達の癖も嫌なものになってしまうだろう。大泉滉さん見事な顔立ちのキャンディボーイや、しっとりした演技しか知らなかった京マチ子さんの奔放で千変万化な若い女性に、慇懃無礼になりそうな山村聡さんのいやらしい振る舞いなど、カツオやワカメよりは、アナゴやノリスケがついつい目に浮かんでしまう。
昔は、イスラムらしい風情を持つ聖橋を向こうにお茶の水橋の下に人が住み、ニコライ堂の鐘が鳴り響く。大磯の松は海風にたわみ、国道のある今でもその自然は変わらない。電話するには右と左で受話器が異なり、電話ボックスはのほほんとした駅前にぽつんとある。
アレンジされたバッハが金管楽器で奏されたり、運動会のかけっこの曲が流れたり、豊かな画面のなかで親しみやすい音楽が何度も場面を盛り立てる。チロル地方の民族衣装を着ていたり、スカーフを巻いたり、衣装も様々に変化してコケティッシュな動きに文学的な言葉や政治思想なども語られる。
ロングショットのラストに映画の味を噛みしめ、上映後に座っていると後ろに座っていたとある方が声の大きい独り言で「疲れた、疲れた、何が言いたいんだろう、疲れた」とある。
そんな映画であった。
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