9月26日(土) 広島市西区横川新町にあるコジマホールディングス西区民文化センターで「横川落語会 第29回 柳家小八 独演会」を観る。

広島市西区横川新町にあるコジマホールディングス西区民文化センターで「横川落語会 第29回 柳家小八 独演会」を観る。


演目

替り目:柳家 小八

小言念仏:柳家 小八

仲入り

大工調べ:柳家 小八


体大きく男前の柳家小八さんを観るのは昨年以来の2回目だ。今年は春風亭一之輔さんの他は上方落語を観ていたので、江戸落語を耳にするのはやけに新鮮だった。


改めて接すると、マクラはよどみなく、早くも遅くもなく、年寄りじみた間を置かずにすらすら話をされる。いつの間に入った「替り目」では端正な顔立ちにはあまり似合わない酔っぱらいが描かれていて、すました女房の姿は直にわかるものの、もっと崩れた庶民か、もしくは坊主のような風体ならば酔漢の臭いもたちのぼりそうだと思っていたら、次第にそれらしい人物が重なり、言葉も頓知が利いておかしくなる。


続いた「小言念仏」は、念仏を唱えている間に目端の利く人物がお節介を言うだけの噺だが、田舎の方言混じりの言葉遣いだけでなく、そのセリフの出所がわかる一般大衆の家柄がよく伝わり、「替り目」でもしみじみ感じた言葉の裏にある昔の人々がいかほど宿っているかわかり、落語に息づく人の機知に鋭さと柔らかさがあり、馬鹿にならない才知が見え隠れしていた。そういえば落語家になる人は高学歴ばかりだと、生で観た噺家さん達の経歴を振り返り、賢くないとできない職業なのだとあたりまえに納得してしまう。


仲入り後の「大工調べ」は、家のユーチューブの垂れ流しでも時折流れる演目で、政五郎の威勢よりも与太郎の大人しさにまず気がついた。やはり今の人々らしい態度は含まれており、伝統を踏襲するのも大切だが、生の変遷を描写していくことこそ市井の落語という観点もあるのだろう、そのバランスでいうとそれほど目立って新しい人間を取り入れてはいない、などとうるさいことを考えていると、江戸っ子らしい迫真の口上がきりっと述べられて、これは見事だと拍手を打った。一気に引き込む高座の一変はさすが真打ちだと唸らせる反射神経と力があり、ところどころで切り替わりの早さと描写の入れ替わりが俊敏で、このあたりに地力もあるのだろう。


昨年観たときよりも好印象に映ったのは、柳家小八さんが腕をあげたよりも、自分の目がすこしだけ良くなったからだろう。もう少し経験をあげて、さらなる発見で楽しみの領域を底上げしたいと思う独演会だった。

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