9月13日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで東陽一監督の「絵の中のぼくの村」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで東陽一監督の「絵の中のぼくの村」を観る。
1996年(平成8年) シグロ 112分 カラー 35mm
監督:東陽一
脚本:東陽一、中島丈博
音楽:カテリーナ古楽合奏団
撮影:清水良雄
美術:内藤昭
装飾:安田彰一
照明:武山弘道
録音:弦巻裕
出演:松山翔吾、松山慶吾、原田美枝子、長塚京三、真々田瑞季、田宮賢太朗、山内美佳、小松方正、岩崎加根子、上田耕一、杉山とく子
冒頭からそれらしい映像が続いたので、もしかして今日の作品はドキュメンタリーかと思っていると、民族音楽らしい基調を持った曲が流れて赤字のタイトルが映し出され、その懸念は払拭された。
音楽にずいぶんと情動はひき起こされていたので、この作品には外せない曲調はいたるところで強い効果を生みだし、双子の少年を中心に構成された映像にイジー・トルンカのアニメーションの印象が連想された。それはおそらく間違っておらず、子供向けというよりも、こういうおとぎ話を含んだ作風となると必然音楽も色合いもその向きが強くなり、それがあってこその作風を生み出すのだろう。
ただ、前半から高知の自然に囲まれた画面の連続は、今の自分が望むような物語性をそれほど持たず、作品名からイメージを結びつける心象風景のスケッチの連続となっているので、劇的要素と展開を求め続ければ退屈してしまう。聞きとりづらいからこそ味わい深い方言や、余所者を厄介とする閉塞した地域の人物模様に、眩いほど息づいた自然の情景はなんら珍しいものではなく普遍している地方の有様ではあっても、都会の人間からすると特別なものとなり、だからこそ似た絵の連続には少々飽きてしまうように、子供めいた情感よりも大人の持つ技巧的な関係をつい恋しくなってしまう。
おそらく、今日の自分の気分があまり求めていなかったのだろう。同級生との細かいやりとりや、魚を捕まえる仕掛けなど、どれも小さい頃の自分が欲した自由な自然があり、澄んだ水の流れには、初めてそれを違う土地の生で見た時の感動を蘇らされたが、懐郷よりも前進が奮っている。
もっと乾いた時に欲する映画作品だったのだろう。昨日の「影武者」のあとでは、あまりに今の自分は脂がまわっている。
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