8月29日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで「ひろしま映像ショーケース2020」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで「ひろしま映像ショーケース2020」を観る。


Quest Movie Factory

「かわひらこ」

2017年 67分

監督:吉松幸四郎


イチヱンポッポフィルム

「シューリンクス」

1991年 50分

監督:胤森淳

出演:山口貴子、北村くみ子、成智秀吉、井上千代子、ほか


広島を盛り上げる実行委員会

「おはぎ」

2019年 54分

監督:山中富雄

出演:菜々瀬まい、田中翔貴、中村心、大國いずみ、星子リンダ、近藤勇利、齋藤一誠、田中綾、吉川亜順、大倉信明、中原榮子、阿武秀美、荒木瞳子、ほか


市民活動で映画制作をする会

「Lost of the memorial nuked Tile」

2016年 30分

監督:はまの省蔵

アクション監督:キノシタケイタ

音楽:ASPHALT

出演:宝栄恵美、キノシタケイタ、瀬戸田晴、井上素行、井原武文、香川友里恵、清怜、GAQ、魁、カイザー、岡雷太、寺田涼夏、佐保子、ほか


広島で映画製作をしているグループが気になったので「ひろしま映像ショーケース2020」を観に行った。


活動が広島ということで、監督やカメラマンはもちろん、役者や所属する劇団も見たり聞いたことのある名前があった。


1作目からすぐに気になったのは録音の質だ。普段映画館で観る作品に比べると、この要素の如何を考えさせられる。普段接しているのが当然の質であるからこそ、どれほど難しいのかと、構図や画面の色よりも映画作品の基本としての役割を感じた。


「かわらひこ」は、脚本に着目するとぼやかされるようで、音声よりも音楽が前面に表れ、断片的に配置されたカットは人物のやりとりだけでなく、モチーフとしての蝶や自然の風物も使われ、ポップな詩情を持った叙情の雰囲気を味わう内容だった。かっちりとした演技よりも、素人っぽさを持った拙い人物だからこそ、キットカットやポカリスエットの似合う透明感ある少女が、ある程度枠の定められた仕切りの中で泳がすように動いていた。劇らしい構成や要素を求めれば足らず、演技としての生命力を望めば淡く、人工的な描線を探せばあまりに有機曲線となっていて、手持ちらしいカメラはハレーションと絞りであまり定まらず眩しく遠ざかるが、時に人物は強く顕れ、周囲を反照した光は人物へブルーに映ったりして、映像としての美しさがまずあり、ゆっくりした左右上下のカメラワークの中で、やはり基本の構図の質と、人物の動かし方と、たしかなリズムを持った編集の技量があった。ただ、自分にとってはあまりにナイーブなので、もっと若い感性に届く色合いなのだろう。


「シューリンクス」は、フィルムは古いが8ミリとしての質感があり、録音も綺麗な声を濁さずすっきりと掴んでおり、細かいカットと編集は映画の基本文法にのっとっているようで、この時代の色合いを多分に含んだ完成度は高かった。主演女優の声と動きは、やはり大林監督や「タッチ」などの男性と女性の境界の近づいた軟弱な甘さと気取りがあるものの、今となってはこれは良き特色となっている。冒頭のアジア大会を控える広島の風景のシークエンスは、カメラの移動速度や繋ぎのリズムは映画に対しての鋭敏な感覚と実力があり、その後登場する人物の演出や細かいアクションのカットの繋ぎなどは、神経細やかな監督と思わせる形式としての映画の実力があった。特に骨組みとしての脚本が悪くなく、幽霊らしき存在に対して鋭く疑問を抱かない点などは映画だからこそ許される省きがあり、主役以外の登場人物もそれぞれ個性が放たれており、役者もそれらしく立ち位置を持っているので、この監督にかかれば上手く使われて光るだろうと思わせる手腕があった。ちょっとしたカメラのアングルや構図なども、正しいと思わせる上手さがあり、それは常套としての技術かもしれないが、ベランダでの花火のシーンとクローズアップなどは、この時代だからこそ許されるというよりも、こういう画面をつかむというねばり強さがあるようで、昔の監督に通ずるアクの良さを感じた。エンディングまでの展開を含めて、素直に飲み込めるとても良い作品だと感動した。


「おはぎ」は、冒頭のお父さんの語り口が最もショットとして見応えがあり、その人物が次の映画作品の監督だと後で知った。デジタルという言葉が形容される鮮明な画面で、あまりに肌理が映ってしまう画面に慣れていないからだろう、光と色が鮮やかだからこそ不自然に感じてしまい、立体感を持った登場人物がむしろ3Dの幽霊らしく見えるほどだった。この時代の物語に今の人間を演出に使う通り、口紅や化粧などから始まり、言葉遣いや感情と反応などは、肉厚よりも、テレビからもらった形式と軽薄にあるようで、それが今の時代の画一的な味だろうが、昔を好む自分にとっては平板で、退屈に思えるところもあった。それはカメラの動きが少し足りないからではなく、古臭いロングショットで人物を小さく映すよりも、演劇を基本とする展開があるからで、アステールプラザで観るような演技はカメラを通すともう少し俳優の内側から触手を伸ばす個性が欲しくなり、顔面は動いているが、皮の内が動いていないように思えるのは、やはりそうなのだろう。熱意と意匠があり、神社のシークエンスでの人物の配置やカメラのアングルも好ましく、おはぎを作るシーンのセットも良かったので、演技をメインにするならば、やたら皮が動くのではなく、血肉が止まって存在を示すような、いわば休止のような負担のかかるブレーキも欲しくなってしまったのは、やはり好みの違いなのだろう。


「Lost of the memorial nuked Tile」は、長くない上映時間に飽きさせない要素がうまく編集されていて、素直に笑って作品を楽しめた。個人的には、地下駐車場らしき場所でがっちりした男性同士が肘を顔面に打ち合うシーンで、最近SNSで新日本プロレスの広告があがり、永田裕志さんと鈴木みのるさんが同様のことをしていて、今はすっかり離れてしまったが昔すこし観ていたプロレスの熱さを沸騰させるもので、音楽でもプロレスでも、観客を基本とする職業についている人は、やはり演技も面白いのだと感じた。特に、ところどころで腕の振りや回し蹴りに勢いがあり、カメラアングルも臨場感があるので、アクションシーンには慣れていないが、見所のある吹っ飛び方などもあり、やはりこの作品も完成度が高かった。


午後から鑑賞した映画作品の上映が終わったのは4時間後なので、ワーグナーの楽劇を観るのと似た量感にはさすがに疲労を覚えたが、今後も映画や劇を観ていれば関連するであろう人々の創作品への経験は、あとあといろいろと結びつくだろう。直接に刺激をもらえる貴重な体験となった。

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