8月26日(水) 広島市西区横川新町にある西区民文化センター大広間で「桂まん我ひとり会」を聴く。

広島市西区横川新町にある西区民文化センター大広間で「桂まん我ひとり会」を聴く。


桂まん我:皿屋敷

桂まん我:佐々木裁き

仲入り

桂まん我:宇治の柴舟


コロナの影響が始まってから生の落語を聴くのは、春風亭一之輔さんと桂まん我さんの二人だけとなっている。前回は6月に聴いたからそれほど期間はあいていないが、おそらく今回もあるだろうと足を運んだ。


落語を子守歌とするに最適な体調だったせいで、あくびを堪える涙が漏れ続ける仲入り前となった。上方落語をそれほど知らないが、先週聴いた一之輔さんに比べればテンポは早く、言葉と言葉の間もそれほど置かずに話されていた。コロナが忍び込まないはずはないマクラを聴いていても、やはり噺家さんも大変で、笑うに笑えない状況の中にあるらしく、やるに違いないと勝手に思いこむ自分のようなのんきな客が一番笑えないだろう。


お菊さんがおかしい「皿屋敷」の演じられたあと、「佐々木裁き」に高座の近い席で落語に接する味を思い出す。眠気が強く何度もかみ殺していても、この演目の四郎吉の達者な語り口がとてもおもしろく、問答の一つ一つの妙味に目を順々に覚まされるようだった。情景も浮かびやすく、やはり目の前にすると空間の変貌する実感を全身に受けられると、広いホールの遠い席とは異なる大広間という部屋の良さがわかるらしい。


仲入り後の「宇治の柴舟」は、眠気で漂う自分を起こすような演じ方で、さっぱりした熱さの登場人物の威勢のよい口調が気持ちよく、冷房の寒さも抑えられたような室内で、打ち勝つ内容が涼感と少しの夢見心地を持っていた。それがウィルスで閉塞するこの状況か、それとも疲れでうとうとしてしまう時間だかわからないが、なんだかどんよりしてしまう空気をいかに打ち破ろうかというまん我さんの心意気が感じられた。すると、あくびを殺すことばかりしている自分自身が、なんだか申し訳なくなった。芸の良い悪いを抜きにして、眠い時はどうしても眠くなるものだから、客の体調によっては噺家さんを勘違いさせてしまう。


どうもぱっと明るくなるような状況ではなく、太陽はとても光っているが、暑さは人を陰にとじこめようとするほどだ。怪談話で冷たく面白く始まり、心がさっと照るようなめでたい話が続き、そして恋煩いから覚めて立ち直り終わる。これはどうも、笑いだけでない心のある番組だった。

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