8月26日(水) 広島市安佐北区可部町にある「つぼくさ農園」で農業体験をする。

広島市安佐北区可部町にある「つぼくさ農園」で農業体験をする。


前日食事をした「じ味 一歩」さんでトマトやフェンネルを味わっただけでなく、「はせべ」さんや「あかいはりねずみ」でも野菜を口にしたことのある「つぼくさ農園」さんへ農業体験に行った。


一週間まえから天気予報をみていると、サイトによっては雨だったり晴だったりわからなかったので、台風の影響で雲が広がり、風が吹いて気持ちのよい農作業になると自分で思いこんでいたら、日射しはとても強く、今の気候の厳しさを直に体感することになった。


農園に到着すると、まず畑の作物を紹介してもらった。今が旬のナスやトマトなど名前の知った作物もあるが、品種によって色、太さ、長さなどが異なるだけでなく、オクラは花と実を食べる品種の違いによって葉の広さも差があり、調理方法などの明確な用途によって植物の性質が枝分かれしていることは見た目からも知ることができた。ただ、昨日の「じ味 一歩」さんでの食事同様に情報の質についていけず、ベトナムなど海外の珍しい野菜が栽培されているので、慣れない名前を聞きながらよくわからずに葉をむしったり、手渡された花弁をむしゃむしゃしたりと、憧れていた摘みたての風味を色々と味わうことができた。


次に大豆の根本に土を寄せる作業をすることになったが、ここから農作業について考えることになった。茎に土を寄せるにしても、その作業がどのような意味を持ってのことかわかるようでわからず、ベランダで植物を育てているから少しは知識と経験を応用できると思っていたが、農具の器用な使い方に始まり、寄せる土の程度などに慣れない事からの疑問が続き、直射も加わって頭も体も難しいものがった。


そんな中で、近くの小川に鹿が歩いているという声がして、見てみると、思ったよりも大きい野生の鹿が忍び足で歩いており、目が合うと、明らかに警戒していることがわかる停止の構えで対峙することになった。


夏の部活以来の発汗量をまとって土を寄せる作業が終わると、自分たちの手で地面を綺麗に整えた実感がわくもので、この光景は仕事に対しての新鮮な達成感があった。「これで正しいのだろうか」、そんな疑問を持ちながらだったので、確認してもらってからのOKの声でほっとした。これが経験者ならば、大豆の生長を見越しての寄せとなり、台風に耐えられるほどに積むのだが、このあたりはやはり経験に寄る感覚が元になるのだろう。


それから昼ごはんに農園で育てている各種のバジルを使ったガパオを食べるのだが、労働のあとの食事をこれほど待ち、また美味しくいただいたのはいつ以来だろうか。噴出する昼食の感謝があり、土鍋で炊いたうるち米とジャスミンライスのミックスされた食感と香りなど、食卓の風景も含めて、脳と記憶に刻印される素晴らしい昼ごはん時だった。


午後はシシリアンルージュという赤い楕円の小さいトマトを摘む作業を手伝うのだが、この時点ですでにへばっていた。炎天下の農作業がいかに大変なものか聞くのと、実際に体験するのでは、比べるところではないだろう。都会とは異なる広い自然の音の中で、自意識の声を長々と聞きながら赤いトマトを選るのだが、この血よりも鮮やかな赤色の実は惑わしてきて、へたに近いところがオレンジに見えて、「これは熟していないのではと」、土を寄せるのとは異なる疑惑と責任の連続にあった。ただ、真っ赤なトマトをつまみ食いする味の鮮烈さは生きる体験の最上位にあり、収穫という農業の喜びの絶頂とも思われる作業に横入りするようで、実り熟すまでの過程において一苦労もせずにこの仕事をさせてもらえる有り難みを、疲れと暑さで忘れながらのおいしさとなっていた。


熱中症が文字通り寄ってくる農作業なので、ところどころで休みをとり、夕方に向かう暑さの盛りのあとには収穫したニラの葉の花芽と葉くずを除く作業を手伝い、本日の農業体験を終える。最後はおしゃべりをしながらの手作業ではあったが、疲労が沈黙をところどころに差し込んできて、川の音を基本にツクツクボウシの鳴き声があり、聞き慣れない小鳥のさえずりも加わり、ふと、こういう仕事の我に還る休息の一瞬間にこそ、生きることの実感と環境の仲間という自然の関係が意識上に募るものなのだと気づかされた。


そんなわけで、少しだけの農業体験ではあったが、それだけでいかに大変な仕事の連続と環境にあるか身に知ることができた。ただ、農業こそが文化の土台としてあるように、農園こそがそこを耕す人そのものの表現であって、作物とは別に、今回の農業体験を案内してくれたスーパーな人の働きに感銘を受けることになった。これはどんな職場でも同じだが、人手を余らせずに的確に指示を与えて、滞りなく役割を配分して仕事を進める差配の上手さは、人の上に立って仕事をする人にとって参考となるだろう。農業体験だからもちろん仕事量と質は容赦してくれただろうが、まさに身に叩き込むように体験させてくれる手腕は、とてもすがすがしいもので、ふと、部下へのおもねりで仕事を手伝ったり、黙認したりするのが平然とあるような甘い職場に比べると、どしどし見定められた分量の作業を与えてもらえるのは気持ちよいものだろう。それも明確な進路があり、不手際なく道具も揃い、片づけまでしかと協力して働く姿勢は、農作業云々ではなく、仕事そのものの大切な基本姿勢があった。


くたくたに疲れてしまったが、農園は社会で働く人の営みの支えということを実感するように、作物を育てるのには計画が必要で、それこそが人と人を結びつけ、無駄なく不足なく先を見越して働く文化の基本としてあるようで、農業は感覚と段取りがとても重要なのだと、頭と体で今と未来を考えつつ、広い自然の中で元気にいられるとても大変な仕事だと痛感した。


それにしても、日本家屋の光、風、足音などなど、映画で観るような感覚が実体験としてあり、いかに磨かれる生活だったか。「つぼくさ農園」に流れる時空間のすばらしさと疲れはとびきりのもので、夜寝る前のまぶたに浮かぶトマトの映像と、耳に響き出される指示の声は眠りにつくまで鮮明に残っていて、それが体験の深さをなによりも証明していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る