8月10日(月) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「永井龍男の『青梅雨』」を読む。
広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「永井龍男の『青梅雨』」を読む。
昨日読んだ林芙美子に比べると、単純でそっけなく、一文に含まれる味わいの少ないこと。最初に一家心中の記事が書き出されて、それからその事件に至るまでの情景は描かれるのだが、目立った修辞技法なくあっさり活写されていき、改行の多い文体は誰にでも作れそうな物語に思える。
実際この短編は目立って優れた作品には思えず、そもそも好き嫌いが大きくものを言うにしても、あまりに淡泊な内容につまらなさを覚えてしまう。
しかしこの本で読んできた作品の中では登場する金額の桁は大きく、昭和四〇年の作品とあり、こういう一家心中が社会の中でクローズアップされる時代なのかもしれない。それはコインロッカーに捨てられた子供が小説の主人公になるような古さで、自分の生まれていない頃なら新しくても、今の時代では心中はそれほど珍しい事件ではなく、それを起こす年寄りで構成された家族も特段変わったところはみられない。とはいえ、一般にありふれた中から抜き取って、再構築することなく社会の一要素を描き出す戯曲も少なくないので、この着想がつまらないということはないのだろう。
会話文の多くで構成されるこの作品は、登場人物の言葉で人物が描き出され、その家族の関係や背景にはほぼ触れられていない。新聞記事になる無関係な人物らしく生い立ちの見えないまま死んでいく姿に、どのような過去と経緯があったのか想像を膨らませることになるのだが、読書三日目の時間がやや足りない状況での義務感にとらえられると、そこに思いを馳せる余裕なく、字面を追ってそのまま小説を終わらせてしまうことになる。
それでも、
“「山田さんの、病院へは?」
「それさ。それは承知していて、とうとう足が向かなかつた。二度目の手術がすんだというのに、一合の牛乳を呑むのに、三十分がかりだという話だ。咽喉にもきているんだろうよ。辛くて、顔を見る気になれない。ゆるしてもらうことにしたよ」
「山田さんは、いくつでしよう」
「五十七か八の筈だ。六十にはなつていない。寿命というものは、分からないものさ」
山田というのは、千三が工場を経営していた頃から使つていた男で、今年の初めから癌に犯されている。”
のあとの一文や、
“ 四人とも、口をきかずに卓を囲んだ形になつた。
「春枝、一口呑んでくれ」
千三が、手を伸べた。春枝は両手で猪口をうけた。猪口が震えていた。
「おじいちやん」
息を詰めて、春枝が云つた。
「ちいおばあちやん、大きいおばあちやんも……」
「うん、どうした」
「二人とも、けさから、死ぬなんてこと、一口も口に出さないんです、あたし、あたし、えらいと思つて」
それ切りで、泣き声を抑えに抑え、卓に泣き伏した。
この姿と気勢は、今夜のこの家にとつて、一番ふさわしくないものであつた。”
の最後に余計なおせっかいとも思える説明文があり、これらは物語の傷よりもむしろ水漏れのように感じるが、これがあるからこそより登場人物を粗末に触れないでおくようにも思えてしまう。
新聞記事に心動かされる人もいるが、一家心中に特に強い感慨を覚えない人もいるだろう。そこに少しだけ人物の肉厚を添えても、それほど変わらないように思えてしまう作品と考えるから、自分は他人に同情を持ちにくい人物なのだろう。そんな判断をつけてくれる作品だった。
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