8月10日(月) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで白井更正監督の「ヒロシマ1966」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで白井更正監督の「ヒロシマ1966」を観る。


1966年(昭和41年) プロダクション「新制作集団」、広島県原爆被害者映画製作の会 78分 白黒 35mm


脚本・監督:白井更生

撮影:金井勝

音楽:山内正

照明:佐沢仁郎

編集:白井更生

出演:望月優子、寺田路恵、鈴木宏子、加藤剛、松本典子、永井智雄、谷信子、岩崎徹、矢野政子


芸術や娯楽としての映画ではなく、何より訴える作品とあり、序盤から始まる狭まった視点での恨み節に少し嫌気がさしてしまう。それは苦しい病人が痛苦をこんこんと述べるようで、可哀相ではあるが、それが続くと慣れによって新鮮な同情を失ってしまい、その暗く重い負の存在にこちらまで重苦しくなってくるようなものだ。


素人らしく思われるカットや編集があり、映画としてありきたりな不自然なシーンの中に、日常会話にはない文語らしい文句が型にはめられて話され、生真面目な人の持つ近づき難い硬質な調子が熱を持って全面に表れている。


原爆被害の実際の映像に加えて安保闘争のデモの写真も混ぜられ、国に対する闘争が別々の登場人物に与えられるが、その組み合わせの映し方はやや難があり、構造として大きな調和を生み出すよりも、関連はあるが無理矢理に映画に詰め込んだような直情さがあり、違和感を覚えずにはいられなかった。


それでも後半に向かって映画としての趣を持ったショットが表れるようになり、垂れ下がった目尻が怨念のように思える母親の面倒なややこしさも味わい深いものとなってくると、前半の拙さを見過ごせる良点が各演出にあり、作品そのものに好印象を持てるようになる。


ただ、露悪的とまではいかない露骨な描き方が散見しており、社会に対しての不正や不満を隠さずに述べ立てる内容は、やはり街頭演説などに接する意識の違いを感じざろうえない。


この作品を観ていて思い出すのは、この世には変えられる物事があり、変えられない物事もあり、その違いを見分けることが生きていくうえで大切だろう、というある本の内容と、この世に生まれた人物に与えられた資質は変わらず、激烈に歓喜する人はその反作用で深刻な苦悩に陥るもので、また、その量は年齢によっておおよそ変わらず、環境によって幸と不幸が変わるように思えるが、その人物はどこまでいっても変わらずにある、という別の本の内容で、およそ自殺してもおかしくない困難状況でありながら笑って生きる人間もあり、およそ自殺するには考えられない裕福な環境にありながら自ら命を絶ってしまう人間もあるという説明も加えられると、原爆という凄まじい環境の変化ではあるが、その中でどう生きるかはそれぞれの資質でずいぶんと差が出て、仮に原爆がなくても、社会を呪って生きることもあり得たのではないかという、当事者でないからこその感想が浮かんでしまう。


最近読み終えたとある本のあとがきに、訳者は、どんなに考えさせられる作品であっても、そこに喜びと慰めがなければ、物語作品としての生命力は短いのではないかとあり、その言葉が、ふと納得できる作品だった。

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