8月9日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「林芙美子の『夜の蝙蝠傘』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「林芙美子の『夜の蝙蝠傘』」を読む。


成瀬巳喜男監督の映画から作品に接することはあっても、実際に読んだことのない林芙美子は、さすがの内容だった。改行は少なく、弁当箱満杯に積めた分量は、ただ単に詰め込んだのではなく、計画的にそれぞれ意味のある階層を持ち、美味しいケーキのそれぞれのクリームに繊細で奥深い味が仕込まれているように、短編ながら大きな構造と世界を持つ非常に優れた文学作品だった。


最近読んでいた私小説と比べて、この作品は男が主人公とあり、いかにも文豪らしい材料の扱い方によって作品を生み出し、今でも名を残していることを証明する作りとなっている。


地の文は冷然としたまなざしを持ちながら、所々に優れた比喩と表現のあるところに作家の優れた資質が表れている。前半は自殺に関する男の心情が描写されており、視点の鋭さによって心理は膨らみを持ち、想像豊かにしつこく述べられていくが、そこに詩人らしい独特な目を持って文章が切り張られているので、くどくどしさではなく、大きな芸術家特有の意味のある量感となっており、男性ならば理屈で通って行きそうなところを理知を持った女性の上質な慧眼で持って、一方的にならない男女のかゆいところをうまく突いてくる。このあたりに成瀬監督で知った林芙美子らしい要素を感じる。


量は豊富ながらつまらなくならずに後半に入ると、人情味のある警察官の登場で色合いは転換される。そこに至るまでの地の文は短く連結されながら、心象と情景が交互に挟まれていて、映画らしいとはいわないが、物語世界が色と形を持ちながら情感を保ちつつ進んでいく。このバランスは非常に質の高いものがあり、洗練された文体を基本にしながら、鋭角な視点でもって文章をつないでおり、一文一文に選ばれるセンスと技術に驚かされる。


終結に向かう場面の盛りあがりも無理なく、かつ滑らかにうまく、余分なくざわつかせて落ち着かせている。ただ、好転の兆しを見せた人情と夫婦の愛情として単に終わるのではなく、一抹よりも大きく色濃く残る不安を最後に落としこむ前に、生への衝動を抑えではなく、余分な一声と荒っぽさで描き、一悶着に生きる意志を縫いつける方法で最後に消えていくのは、恐るべき作家の力量だとうなるほどのものだ。


ところどころ優れた文章を抜くと“この孤独と云ふものは、四方八方から責めたてられて起こつたものだと解り、一瞬の考へのなかにも、外部から、何かしら音をたてゝはいりこまれてゐる不安を、始終、頭に入れてゐなければならぬと、追ひまくられてゐる気になり、その息苦しい不安を、英助は、ぢいつと虚空を只みつめてゐる。”という書き出しから一気に物語に入り込み、“いまのところ、英助の考へてゐる死と云ふものは、空想的で、抽象的でもあるのだ。死の内容が、ひどく軽つぽいもので、死を甘くみつめてゐるところがある。”というのは、およそ死なない人間の死にたい気分を捉えており、“煙草に火をつけながら、人間に権威がなくなつた場合の、みじめつたらしい卑しさが、自分の指のさきに見えてきて、何もかも無情に引きずられてやりきれなくなつて来る。”に卓越した視点が証明されていて、“心の片隅の感傷は、機を織るをさのやうな速さで、生命と云ふ炎のまはりを、死んでも仕方がないぞと云ひつゞけてゐた。”は目に見える巧みな比喩で、“その寒々とした空を見てゐると、どんな力も必要としないで、このまゝ氷がとけてゆくやうな無気力な消えかたで自分だけを失つてしまひたいやうな気がした。”は、まさに詩人の感性により、“「貴方つて云ふひとは、何でも未練たつぷりよ。昨夜なンか、さつぱりと悟つたやうな事を云つといて、まだ、くよくよ妙な事を考へてゐるのね」”には、女らしい見事に串刺しにする言いっぷりが鋭く、“不幸を美味さうに食つてゐる気配が人に見える間はまだ駄目なのかなと、くちやくちやと濡れてゐる耳の穴に指をつゝこんでみる。”というところにやはり甘えといえる独りよがりがあり、“戸田英助さんは少しもひがみのない、寛大な心の持ち主で、あのやうな人物はないのだと云はれてゐる事が胸糞の悪い思ひであつた。寛大にしてゐる事が世間では便利な事なのだ。町子さへも、時々、感きはまつて、貴方と云ふひとは、仏様みたいよ。まるで草におく朝露の如き人物だと讃めてくれる。不具者としての欠点がないと云ふ事が、周囲の人間には便利なのだ。”という皮肉には自己に対する僻みと賞賛が含まれているようで、“自分は毎日何かを想つてゐる。そして、その何かゞ心の中で熟してゐる。それでゐながら、透明な諦めを表情に出して、己れをかくして生きてゐる。人生とは英助にとつて、只それだけのものであつた。”は少なくない人々の生き方に付随するありきたりな形式であり、“働く妻の若々しい元気さに妬みを持つてゐながら、英助はにこやかな笑顔をつくつてゐる。表情をつくる事は面白いのだ。自由自在に頭の芯が命令をするのだ。只生きる為に意志を弄び、皮膚で風を吸ふ。”の皮膚の一文で一気に生気を持ち、“人間の真理は何か知らない。だが、死ぬ事を心から念ふ人間はなかなかゐない。空想はするのだけれども、その、死の真空はとみくじのやうなものだ。いつ当たるともしれない真空に、いつもおびえてゐる苦痛は英助にはたまらないのだ。”という比喩に、偶然で軽々しく当たる場合もある死を身近なものとして扱う処置の加減は、やはり妙味がある。


さらに抜粋したい箇所はいくらでもあり、約九ページの中に常人には捉えきれない日常の視点が溢れており、優れた文章が持つ、ああ、身近にあったなぁぁ、という感想が次々と生まれて意識を気づかせてくれる。


続いて読んできた作家のなかで、男女の性を抜きに純粋に大きいと思える作家で、久しぶりに他の作品も読みたいと思わせるほどの質の高い短編作品だった。

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