6月20日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでソフィー・フィリエール監督の「20年後の私も美しい」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでソフィー・フィリエール監督の「20年後の私も美しい」を観る。


2018年 95分 カラー Blu-ray 日本語字幕


監督:ソフィー・フィリエール

出演:サンドリーヌ・キベルラン、アガット・ボニゼール、メルヴィル・プポー


上映開始5分を過ぎてから入場したので、20年の歳の差を持った同じ女性が同時代に二人存在することを知るにつれて、冒頭に発端や鍵となる大切な場面があったと想像してしまった。当然意味のないオープニングはなく、ラスト同様に重要な始まりが抜けていると作品の大半の内容をつかみ損なう印象さえ持ってしまうが、物語が進むにつれて、マシーンやハプニングに頼った時間移動はなさそうで、ただ同時に存在していることが自然とあるような気がしてきた。


クレール・ドゥニ監督の「レット・ザ・サンシャイン・イン」という映画の気怠い雰囲気を思い出すようで、もし疲れや眠気、偏頭痛などがあれば退屈でしかたないと思ったかもしれない。展開が緊迫するようなリズムはなく、良く言えば緩やか、悪く言えばだらだらと、一人の男性を含めて歳の差のある同一人物である二人の女性との三角関係が描かれている。これを楽しめるのは、おそらく女性の視点であり、男性ならば、色男らしい甘い女性交際に趣味を持つ性格だろう。嘘や小賢しさを厭う一本気を持つならば、このどちらにもつかない繊細な天秤の関係が気持ち悪くてたまらないだろう。


さすが外国の映画などといえば無知な固定観念をさらけだすだけになるが、無意味と思える言葉のやりとりなどにサロン文化を持つ伝統というか、高度な社交技術の粋を垣間見ることができて、横暴にしても甘さにしても、表現する生命力の強さがやはり日本とはえらく異なることを実感する。たとえばベッドにみせる女性の裸にしても、皮膚や乳房に整った美しさを見ることはできず、ありのままの素肌がさらされる。それは昨日の作品でも同様で、およそ裸を恥ずかしいなどと思って表現を抑えたりせず、さらけ出すことの意味を痛感させられる。その意欲の強さこそが、型通りの平凡な台詞回しや表情を越える力となっており、背中を透けて心情が見えたり、わからずとも横顔になんとなく感情が伝わってくるのだろう。


素早くではなく、自然にカメラは追いかけてフェードアウトしたり、奇抜なことをせずに落ち着いて人物関係をとらえていく。まるで天国のような雪山には意図的な構図の美しさがあり、閉鎖的なリフト空間やゲレンデには下界を離れたある種の喪失を感じさせる広さがあった。


とろりとろりと続いていた物語は、平凡と言ってしまえばそれまでだが、最後にすんなりと落ち着く。20歳離れた自分を恋敵として選ばれたこの物語は、どちらが今で、どちらが未来で過去だろうか。そもそも、本当に同一人物だったのだろうか。


疑問を持たせるラストまでの展開であり、意味深げな色付きのニット帽とロングヘアーの垂らし方も登場するが、結局伝わってくるのは、やり直せるのは今だけという、拍子抜けするほど大切なメッセージになるのだろう。

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