6月21日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「芥川龍之介の『一塊の土』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「芥川龍之介の『一塊の土』」を読む。


小説に興味を持ち始める前は太宰治と混同していた男前で、向こうが外国人らしい目鼻立ちの大きさを持っているなら、芥川龍之介は鋭利な顔立ちをした一個の理想像としての文豪の絵柄を持っている。そもそも名前の響きからして格好が良く、クラスの出席点呼ならほぼ必ず一番に位置するであろう名字は、ごみの川という意味を知って驚いたことがある。


容貌や子供の出来の良さを抜かしても、この精神が傷ついた文豪は好ましく、特に「河童」への感想が直ちにあがってくる。やはり見た目は自己の性格を映さずにはいられないらしく、文体からも洒脱な伊達男らしい分析があり、今日読んだ「一塊の土」にも説明らしい箇所はあるものの、むしろ美文らしい衒いはなく、淡々と話を進める味気なさもあるから不思議になる。


書き出しから物語の基本情報をさっと詰め込み、人物、背景、場所を短い字数で描写している。一見すると志賀直哉らしい文体のリズムはあるが、会話文などはよくできあがっているからこそ作り物らしいところがあり、地の文にも率直さというよりも、やや臆病な人間が持つ一歩下がった視点があり、鋭さは神経の細やかさと同居して、多少露悪的な着眼にも人生の終末と結びつけてしまう厭世的な目が存在している。


嫁と姑の関係が約8ページに物語られるが、姑の心情は描かれるにしても、嫁は一枚の分厚い緞帳が降りたように内面がじかには表されない。この存在はひどく不気味に思えるほどで、世間から偉大と評価される人間の暗澹とした雰囲気が見事に描き出されているように思える。変化のないことで周囲を変化させている物語の構成は、目立った事件などなく、淡泊で退屈な小説と感想を述べることもできるだろうが、冷徹な視点に作家の個性ともいえる説明らしい微かなくどさもあり、自然描写が鈍感と思わせる家族の相関関係の捕まえ方は、作為らしい生命がたしかに宿っている。


段落の並びには映画のカットと編集を感じさせるうまさがあり、全体的に神経質に構成されたところに豪放な個性はなく、外国の影響をおおいに受けている多感な精神はあるが、何にしても、自分はこの病んで消えた作家がとても好ましく思える。


“実際又お民は男手も借りずに、芋を植ゑたり麦を刈つたり、以前よりも仕事に精を出してゐた。のみならず夏には牝牛を飼ひ、雨の日でも草刈りに出かけたりした。この烈しい働きぶりは今更他人を入れることに対する、それ自身力強い抗弁だつた。”なんかは、有無を言わさないことの簡潔な説明で、なぜか印象に残った。


“お住は一生懸命に男手の入ることを弁じつづけた。が、兎に角お住の意見は彼女自身の耳にさへ尤もらしい響を伝へなかつた。それは第一に彼女の本音、──つまり彼女の楽になりたさを持ち出すことの出来ない為だつた。”にはこの物語の主題が明確に説明されていて、文章を飾る気持ちなど考えもされない。


“お住は唯茫然と嫁の顔ばかり眺めてゐた。そのうちにいつか彼女の心ははつきりと或事実を捉へ出した。それは如何にあがいて見ても、到底目をつぶるまでは楽は出来ないと云ふ事実だつた。”には、自殺をはかるこの文豪の心情そのものがすでに顕れているように思える箇所だ。


“お住は思はず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に他愛のない寝顔を仰向けてゐた。お住はその寝顔を見てゐるうちにだんだんかう云ふ彼女自身を情けない人間に感じ出した。同時に又彼女と悪縁を結んだ倅の仁太郎や嫁のお民も情けない人間に感じ出した。そのお変化は見る見る九年間の憎しみや怒りを押し流した。いや、彼女を慰めてゐた将来の幸福さへ押し流した。彼等親子は三人とも悉く情けない人間だつた。が、その中にたつた一人生恥を曝らした彼女自身は最も情けない人間だつた。”このあとに会話文はつながるのだが、ここだけでみれば、この小説がいかに作家の魂を作品に仮託しているのかと、結果論として結びつけてしまうような痛ましさを感じてしまう。同時に、この小説の内容の深淵がふかく突き刺さってくるようで、どうしてそう思うのかと、疑問に思うところに生きることの難しさが忍び寄ってくるようだ。


死に様がその生涯を大きく決定づけるのは疑いのないことで、薄幸を姿に表した魅力的な文豪は、外面だけでなく、その現代人らしい細やかな精神を持った痛ましい人だとつくづく感じる作品だった。

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