5月31日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新国立劇場の巣ごもりシアターおうちで戯曲から「坂手洋二『現代能楽集 鵺』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新国立劇場の巣ごもりシアターおうちで戯曲から「坂手洋二『現代能楽集 鵺』」を読む。


三部構成のこの物語は、第一部に強く魅了された。ト書きによる細かい場面情景に加えて、四人だけという多くない登場人物によって舞台空間がイメージしやすく、自分好みの美辞麗句や調子を整える為の言葉や並びなど、登場人物の台詞がただの説明にならず、やや形式的な音調とリズムを持って連関していく様が感じとれた。世阿弥の謡曲だという「鵺」をもとにしての翻案は、原作を知らないからこそ比較が行われず、それでいて「平家物語」で聞きかじった内容が材料としてこの物語の作品理解を助けるので、まるで知らない内容とはならない近づきやすさがあった。この第一部に流れる異質空間は、手塚治虫さんの「火の鳥」の物語ならば、未来編などより、鳳凰編や乱世編に存在する無常感が漂い、人の命が虫のようにはかなく消えて、どうにもできない運命を享受できずに来世に想いを託す昔の人々のやるせなさがはびこっている。今と異なり、テントウムシが美しい女性に化けて恩を返すように、ここでも妖怪として退治された鵺の本性が架空の世界と言うよりも、人の心が作り出す具象として描かれていて、現代よりもずっと人の持つ心象風景は威力を持ち、それが映し出す哲学的な意味をもった観念は計り知れないほど大きい物だったのだろう。今の人で詩を解せる人はいないとは言わないが、多くが人生経験を経た中高年や、早い時期からその好みを持った人だけだと思ってしまうほど少なく、多くの人はより表面的な流行世界を漂い続け、この物語の鵺や頼政の心は解せないのではないかと疑うほど隔世を感じる無機質な世の中が現代だと信じ込むほどに、この第一部には古典世界が持つ豊穣な言葉の美しさがある。


第一部の流れをどのように繋いでいくか、今井正監督の「武士道残酷物語」のように、現代に近づけば近づくほどその因果の生命力が弱まっていくのかと考えるまでもなく、車の走る第二部の時代になってもその螺旋分子は連関していく。この戯曲作品が素晴らしいと思うのは、4個の存在がそれぞれ持つ要素の関係が実に幅広く、様々に意味を結んでいくことで、水、神、帝、命令など、キーワードは重層して多角的な含みを持ち、まるで細胞分裂を感じるような繋がりの派生の広さを感じつつも、枠をはみ出していないことだろう。現代らしい台詞となってもその流れはすっきりしたもので、怨念と勘違いしてしまう遺伝子の連鎖は不気味に繋ぎ合わさり、紐や首輪の対象の見失いや、まるで幽霊と思える男性用の傘を差す女性に、喪失と悔い、懐古的なロマンスに不倫と主従が描かれながら、心を突き刺す詩情に満ちた台詞が挟まれている。第一部に比べればより軽くなった内容ながら、まるで薄衣を流すような冷たい幽世の世界は保たれている。


第三部になると、ベトナムの文化と歴史説明らしい面は強いが、科学兵器による身体の欠落などに鵺を当てはめる着想は意表を突くものの、社会主義や赤軍らしきテロ行為なども含められていて、世界は一気に広がりを見せる。水でさめざめとしていた第一部と第二部の世界はベトナムのバイク渋滞による喧噪にまみれてしまうが、水上人形劇を材料に関連づける巧みさはさすがで、あれにも中国の文化が混じり、食文化もその土地で生まれたよりも、他の土地のテイストを自分の土地に合わせて今に存在していることを示唆していて、そもそも人間だけでなく、文化、国、物質としての存在そのものが様々な別個の要素で成り立っているということをまとめて表現している。


この戯曲の持つ世界観はとても大きく、個人的には、世阿弥の原作を知らない感想として、第一部のような世界を生み出すのはとてつもない高みだと思ってしまう。古典から連続して現代へ、この作品の持つ壮大な流れには混沌から物への形骸化としての抽象が表されていて、そもそも歪に各要素が共存、もしくは共生している世界そのものを表現している。小さな細胞一つに、どれだけの存在が働いているだろうか、鵺という存在に純然としたパッチワークの意味が知れるようだ。

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