3月2日(月) 広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「春風亭一之輔 独演会」を観る。
広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「春風亭一之輔 独演会」を観る。
牛ほめ:春風亭 与いち
新聞記事:春風亭 一之輔
天狗裁き:春風亭 一之輔
二番煎じ:春風亭 一之輔
中止になるかと毎日確認していたら、どうもやるらしいので落語を聴きに行った。
場内は9割5分がマスクをしていて、異様な光景だった。こうなるとマスクをしていないほうがおかしい人らしく思えるが、ただマスクが嫌いという理由だけで、それほど気にならなくなる。
ふと昔の出来事を思い出した。冬の野外イベントで遊んでいた時、夜の山はとても寒く皆が厚着していて、自分もベンチコートを羽織っていた。そんなところにとある友人が遅れてやって来て、見るからに足りないと思える薄着で震えていた。別の友人が上着を貸そうとするが、大丈夫といって青白い顔で強がり、凍えそうで凍えずに結局着ることはなかった。自分のマスク嫌いはこれほど伊達ではないが、お洒落の為にダサいコートなど着てたまるかという気概を感じられ、そもそもそんな薄着で来る時点で抜けているのだが、そういう強がりにとても感心した。
それほど強い信念を持っているわけではないが、自分はマスクをしないだろう。要するに、目から下の表情が見えなくて、見るからに不健康で、ぱっとしないからだ。特に笑顔の効果はほとんど削がれてしまい、仮に素敵な人が稀に微笑みかけてくれても、それは台無しだろう。
マスクも多かったが、聴きに来る人も少なくなかった。そんな中で、春風亭一之輔さんを前に東広島で観た時と同じように、飄々としていた。
前座の与いちさんはほぼマクラなしに、男前に牛の尻の穴を話した。次に一之輔さんが出てきて、やはり重みと間がまるで違った。
前に観た時の良さを思い出したのは、春一之輔さんの間だろう。仲入り前は興が乗ったのか、それともそのように最初から出来上がっているのかわからないが、羽目を外しているのかと思った。それほど笑わずにじっと観ていたのだが、泥棒があげられたというくだりで、すっかり落ちこんだ。不思議なもので、それからはどんな些細なことでもおかしく思えてしまい、下手に笑わないよう気をつけるようになってしまう。
マクラで話していたが、笑わずに分析するように観る人がいて、どこどこの高座ではこうで、演出がどうこうと考える人がいるらしく、まさに自分がそのタイプだろうと思った。また別の人も話していて、たいしておもしろくないにの笑うタイプの人だそうで、自分はこのタイプではないと思ったが、はたしてどうだろうか。
大岡越前に加藤剛さん、アンドレにジャイアントなどの人物も組み合わされていて、世間話で茶を飲むようなマクラではこちらが冷や冷やするほど非合法な話を突いていた。そんな中で飛び切り驚いた瞬間があり、一之輔さんが突然「水島!」と叫ぶ時があった。「なぜ、自分の名前を知っているのか」瞬間に思ったのはこれで、自分のことなど呼ぶはずがないのに、そう誤解させるほど今の名字の人になっているのだろう。もちろん上等兵のことを呼んでいて、勘違いも甚だしいのだが。
「二番煎じ」が最も良く、現代らしい軽さ思える言葉遣いや反応を取り入れながらも、やはり古典落語を演じる力量があるから素晴らしい。比喩に合うかわからないが、ピカソの素描を観て初めて絵が上手なのだと思い知るような気分で、それぞれの人物が細かく描き出され、鍋をつつく仕草や食べ方などの違いを観て、人の個性はやはり良いものだと愉快な気分になった。
風邪を笑いで吹き飛ばせ、ではないが、ああいう力の抜けた調子でいるのが、何よりも健康なのだと思ってしまう。なににせよ、あとあとどうなるにせよ、落語を聴けてよかった。
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