3月1日(日) 広島市中区上幟町にある広島県立美術館で「第66回 日本伝統工芸展」を観る。

広島市中区上幟町にある広島県立美術館で「第66回 日本伝統工芸展」を観る。


毎年観たい観たいと思いながら行かず、予定が空いたところの埋め合わせの最終日に観ることになった。


何がそう観たいと思わせるのかわからないが、国内旅行先の陶器を観たり、昔に上野の美術館で現代の陶芸作品を観たり、「アカデミイ書店」で買った美術誌がそう思わせるのだろう。


作品数が多いので飛ばし飛ばしに観ようと思いつつ、メモを残す癖があるのでどうしようと思っていたら、作品を見た瞬間に喚起されたイメージを記すのみに留まった。これが屈折していて、なかなかおもしろかった。


その一部を挙げると、説得力、薄紫の良し、夢幻の回想、もののあわれ、五線譜の縦横、規則的な流れの発達、肌合いと存在感、長いのは少ない、凹凸に性情、花のような炎の色、丸さと薄さ、抹茶の細波、卵の殻、水中の蛸壺、クレーのぼやけたウィーン、バケツのように、ボーリングのゴム玉の海中、貝殻の質感の良さ、結晶の結晶、凍結した花、太い彫りの存在感、ハチドリの器、麻痺してる、説得力、栃の漆黒、竜の船、ちゃぶ台、同一と表面、わりと淡泊、杉の柔軟、連鎖、わからない、まるでギリシャの籠壷、たわけものの目、芋虫の外側、チャコールの模様、垂れる釉薬に鳥の足、縁の三本が変化を、ガラスのような肌合い、蛇の鱗、幾重の蛍蜻蛉、葡萄の花のように、風呂桶にしては武骨だろう、斜めの線は紙のよう、万華鏡の輝き、雪のように翡翠のように、淡い青の鈴蘭、花のような宝石の広がり、地味ではない、細かさがヴォツェックの装置、実用的に焼けた色、三原色の落ち着き、ただ海、点の象眼、木の中の花、気品の宝物、むく、まるで東南アジアの涼しさ、稲光、楓のぼかし、籠の向こう側、灯りなき灯り、ままごとにはあまりに高貴、編み目に照り、森の奥、これまた欅違い、古い漆のよう、備前に土星、どっしりして羊羹、漫画の親しみを持つ、これはトイレか貝殻か、中心があるから生きる、扇子のように船のよう、回転を保つ、ガニメデの白黒、ねじれから奇怪、若者の蝶、紙や木に変化する、おいしそうな花、厚みに渋さ、志野の色変化、瓢箪のように飄々、最近の晴れ着模様、幾何と青、星座、粘土に花、風流、南米のバナナ色、切り紙のよう、象眼の蟹、まったく異なる情感、などなど。


要するに多様に富んだ作品が多く、モチーフと表現にもジャンルが異なり、自然、宇宙、抽象、愛玩など、伝統的な形をした器もありながら、細部のデザインにウィーンあたりに感じる黄金と図形があったり、写実的であったり、透明感に突き抜けていたりと、高い質の工芸品が各素材や技法の互いの特性を活かしつつ、化けたり、交代したりと、表現の海に溢れていた。


その中で今回特に気になったのが花籠で、これは陶器や漆器などと異なり、窓の向こうに太陽の明かりが見えるような透過性を持ち、変化する竹には女性の髪の毛のような色っぽい質感があり、編み目にどれだけの情感を覚えただろうか。


陶器は言うまでもなく素晴らしく、着物も三次元と多層、それに抽象を含めた表現があるも、やはり工芸品の花は漆器にあると自分の中で落ち着いた。蒔絵もいいが、やはり好みは象眼で、精緻な螺鈿細工には日本の美の頂点らしい細やかさと輝きが宿っている。


毎年逃していたことを今更悔やむわけではないが、来年は必ず行こうと思える伝統工芸展だった。なにしろ、絵画や彫刻よりも直感的に観賞できて、一つ一つの作品への理解に力を費やさずに気軽にいられた。そして、毎年観てこそ、この特別展はおもしろいものだと感じたからだ。あくまで表現にある、その執念が美に捧げられた日本の今の数々だった。

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