1月22日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでエリック・ロメール監督の「飛行士の妻」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでエリック・ロメール監督の「飛行士の妻」を観る。


1980年 107分 カラー 35mm 日本語字幕


監督・脚本:エリック・ロメール

撮影:ベルナール・リュティック

音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ

出演:フィリップ・マルロー、マリー・リヴィエール、アンヌ=ロール・ムーリ、マチュー・カリエール


今回の「エリック・ロメール監督特集」は楽しみだった。フランソワ・トリュフォー監督やジャン・リュック・ゴダール監督の作品はいくつか観たことはあるが、いまだにヌーヴェル・ヴァーグという言葉の意味がまるでわかっていない。昔から映画雑誌を読んで批評的な視点に慣れていれば、作品を観た時の感想は、酒やコーヒーの味を紹介文によって初めて知った気がするように得られるだろうか。ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる監督作品の特異や際立ちを見分けられるほど映画を観る経験も力もない時では、正直どのように凄いのかわからなかった。それは高校生の時に観たアンソニー・ミンゲラ監督の「イングリッシュ・ペイシェント」が何もおもしろくなかったのと同じことだろう。感じとる能力が欠如していた。


井の中の蛙のような心地を感じないわけではない。中学高校の時はヒップホップが好きで、毎月専門雑誌を買っては、購入して実際に音楽を聴いてもいないのに作品やアーティストについて話していた。それを実際に活動していたDJやMCだった同級生はどう思っていただろうか。薄っぺらな受け売りだけのうざったい知識に違いないだろう。


そんな経験があるからだろうか、自分で感じて考える前から作品の先入見を入れないようにしている。井の中の蛙のような心地を感じないわけではない。今回特集される監督がどのような人物で、どんな個性を持っているかは、連続して上映される作品から見つけていき、それらが一段落してから作品紹介などを調べて、自分の考えを比較する。何事も準備するにこしたことはないが、この方法の良し悪しを抜きにいきなり飛び込むやりかたは、自分の好みの鑑賞形式として、それは旅行の仕方にも少し似ているが、自分の性に合っているのだろう。


そんなわけで、初めて観ることになったエリック・ロメール監督の作品は、上映後の入場ですぐに思ったことがある。パリの喧騒がいかにも映画らしい架空の街ではなく、レンズの膜に生々しさのある埃らしい画面を感じた。その後のショットの長さ、シークエンスの構造、カメラの揺れ、実感を持った演技などに今まで観たことのないものがあり、発生して消失する男女の会話の驚くべき生体的な妙は、フランスらしいリズムと知性があるも、この監督の特別な癖かもしれないと考えることもできた。


どこにでも起こり得る男女関係がただ描かれているだけ、なんて言ってしまえば終わってしまうが、その肌の質感と会話の発展は、成瀬巳喜男監督のような作られた上手さではなく、呼吸と感情の有機的な結びつきとして生まれたようにしか思えないほど、鋭く、機知に富んで、自由な説得力を持ってしんみりとうなずかせるものがある。


はたしてこれが合っているのだろうか。受け手としての感想は唯一のもので、目の悪い人間にとって映るものは、眼鏡を通したものと違うのは誰でも理解できることで、体調と環境によっても視力は上下するから、今はなんだか冴えない目と頭で、愛くるしい登場人物達の会話と表情のこの映画を好意的に迎えるだけだ。


2月1日まで、全部は観れそうにないが、できる限り目にして、自分だけの頭と心でこの監督を造形しよう。そんなことができるから、広島市映像文化ライブラリーは特別な場所になるのだ。

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