11月21日(木) 広島市中区加古町にある広島文化学園HBGホールで「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」を聴く。

広島市中区加古町にある広島文化学園HBGホールで「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」を聴く。


ピアノ:辻井伸行


ドビュッシー:2つのアラベスク

アラベスク第1番

アラベスク第2番


ドビュッシー:ベルガマスク組曲

前奏曲

メヌエット

月の光

パスピエ


ドビュッシー:映像第1集

水の反映

ラモーを讃えて

運動


サティ:3つのジムノペディ

ジムノペディ第1番

ジムノペディ第2番

ジムノペディ第3番


ラヴェル:

亡き王女のためのパヴァーヌ

水の戯れ

ソナチネ


アンコール

ドビュッシー:

喜びの島


昨年末に実家へ帰った時に、音楽なら演歌ばかりテレビで見て、小さい頃から音痴という一種の才能ある遺伝を自分に授けてくれた歌声を聞かせていた母親が、クラシック音楽の番組にチャンネルを切り替えたのを初めて目のあたりにした。聞いて見れば、辻井伸行さんのドキュメントを含めた番組だった。いわく、聴いていて心が洗われるのよ、らしい。浅田真央さんが好きでそればかりテレビで見ていた時と同じ思い入れだった。


数ヶ月前に広島で公演があることを知り、ただの知名度だけでない実績を備えた人だから、一度どんな音色か聴いてみたいと思って足を運んでみた。舞台上にスクリーンがあり、演奏される曲に合わせてフランスの印象派を主に絵画が映される演奏会だった。青やオレンジなどの照明に舞台は色変わり、辻井さんに焦点をあてて絞られたりと、雰囲気のある舞台となっていた。なじみのない人も楽しめる形で、音楽好きなら絵画に、絵画好きなら音楽にきっかけを与えることになるので、各分野の好事家を広げる間口のあるやり方だと思った。


ただし演奏会が始まってみると、個人的な好みとしては必要のないことだった。たまに美術館に行くと必ずイヤホンに音楽を流しながら観賞するが、それとはいくぶん感じが異なっていた。絵を観ている時はたいてい視覚に集中しているので、実際は10分の1も音楽を聴いておらず、たまに意識にのぼってくることがある程度だ。そのせいかエイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」を観てショスタコーヴィチの交響曲に強烈な粘着力で映像がくっつくようなことはなく、これこれの曲を聴いて絵を思い出すようなことはない。来場者の声や足音などの雑音をかき消す為の音楽ぐらいの比重ならば邪魔にならないが、辻井さんのピアノの音色がそうはさせなかった。


曲によって表現は当然異なるが、一つの印象をあげるなら、限りなく清潔な音に感じた。ねじれやひねくれが見あたらず、音楽に純化された人間の一つの形として演奏されていて、演奏後の挨拶と入退場の動きも合わせて、丁寧に磨き上げられた自動人形のような完璧さがあった。それが機械的にあるのではなく、素晴らしく人間らしいのだ。音楽への愛というのを含めて、率直な大好きというのもあり、目の見える自分のような浅薄な人間の曲解ならば救いやすがりなどに形容してしまいそうな、極度の感謝に満ちあふれている。それは紛れもない芸術としての音楽であり、そういう表現は必ず神と個人の関係性を感じられる。


演奏会で聴いている最中に多々ある日常の雑念がほとんど浮かんでくることはなく、それがぽっと頭にやってきても、すんなりとピアノの音色にどかされてしまう。それは舞台上のスクリーンも同様で、目をつぶれば一音一音のはっきりした存在があるので、純粋な音楽に本物の質感でない絵画はあまりにごちゃごちゃしたように映ってしまう。クレーのような抽象的な絵ならばまだいいが、サティで映じられたクリムトは自分には合わない。まだロスコなどのような絵のほうがいい。それよりもむしろ、目を瞑って語る音を聴いて勝手に浮かぶ心象を見てればいい。実に豊かな世界と時間が自分の中で生まれて消えていく。たまに目を開けて、色彩と遠くで演奏する辻井さんを見つめる程度になっていた。ただし、アンコールで演奏されたドビュッシーの「夢」で映されたオディロン・ルドンの「瞑目(Les yeux clos)」だけは、身震いする効果があった。魔法のように別の精神世界を作り出していたピアニストは目が見えず、スクリーンの印象派の映像を嫌がって自分は目を閉じ、夢なんて曲で目を閉じた象徴主義の絵画を目にして衝撃を受けるなんて、どことなく不純な気がしたが、間違いのないリンクがあった。印象派よりも、バーン・ジョーンズなどのラファエル前派を映したほうが適合したのではないかとも思ってしまう。


客席はおそらく満席だろう。女性の比率が高く、年輩の人も多かった。それは浅田真央さんを好むように、辻井さんの優しい演奏と、性格が好ましいからだろう。あどけなく、可愛い姿は、誰からも愛される聖人としての純な気性があり、皆自分にはない希有な性情に憧れ、愛で、大切にしたい気持ちになるのだろうか。


心が洗われるのよ、母親の言っていた感想はもっともだと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る