11月16日(土) 広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・ホールで「劇団テアトル広島第35回公演『王女の買い物』」を観る。

広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・ホールで「劇団テアトル広島第35回公演『王女の買い物』」を観る。


原作:飯沢匡

脚色・演出:五十嵐美佐子

装置:田添正敏

照明:木谷幸江

小道具:出口ナオミ

衣装:和泉絢子

化粧:安井静江

出演:瀬野三枝子、松岡由里子、安井静江、岡田直子、福田恵、出口ナオミ、和泉絢子、木村知恵美、佐伯紀之、奥田文豪、古賀太一


10年20年ではなく、半世紀を超える劇団の歴史があり、公演記録を見ると年に1度の公演だけでなく、こどもミュージカルや親子わくわく劇場といった舞台も継続しているので、幅広い人に親しまれているのだろう。客層も年配者だけでなく、洒落た身なりの人や若い人もちらほら見られた。それはこの劇の内容に関係するのだとあとあと気がついた。掘れば掘るほど劇団が出てくるような新米気分を今日も感じつつ、中国放送を基に派生したと説明のある、自分よりもずっと長く存在している劇団テアトル広島を初めて観た。


照明がほとんど動かない劇だった。光が一段と沈み、暗転の際に絞られて消えていく以外に、白色はじっと舞台となっているブティックを明るく照らし続けていた。それがどういう意図の演出かわからないが、単調な芝居運びになりかねない効果はありそうで、リバーブやディレイなどの化粧となるエフェクトを排したような照明は、この物語からの暗喩として、白日の下にさらす、潔白、素顔のままで、などの意味に思えてしまい、世間の勝手な情報回しに振り回されるなかで、生地の心根の良さを保ったまま理解ある上客と一層繋がって落ち着くこの芝居の基本色となっているようだった。


その場の都合だけで生きている得意客や、モラルの欠如が甘ったるい高飛車な声に昇華されたアイドル、スペイン人らしい名前でフランス語を使いつつ英語なまりの日本語を話すインチキそのものの男爵夫人など、喜劇らしく枠に嵌めたような一面的な登場人物の中でも、テレビプロデューサーが最も憎たらしく、金になる情報ならばなんでも飛びつくことを基本とする剥き開かれた眼球で、高圧的にマスコミのルールを説き、チンピラという言葉が似合う歩き方と話し方で図々しく登場するのは、本当に腹が立つもので、これだけ嫌悪を抱かせる劇の登場人物はほとんど観ていないと、気分良くむかっ腹を立てられた。こんな人物を中国放送を土台にした劇団が描くのだから、気が利いている。そんな身勝手な人間達に比べると、ブティックの関係者は少し大人しく、面白みを欠いているように見えるほど根の良い人達に映る。


照明は無口なほどだったが、舞台衣装は遠慮なくお喋りしていた。小さい時は、おばさんの服、という言葉ですべて片付けるほど見えていなかったブティックの服飾は、登場人物に見事にはまっていた。ファッション用語を知らないからどうこう言えないが、素材から色彩まで、それぞれの時代の流行や人々を語る要素が詰まっているだろうし、ブティック店主が身につける紫や黄色にしても、画一的な色や柄でまるで民族衣装のように流れている本通りの没個性とは異なり、自立した人間としての正当な個性が美しく、凛として背筋を伸ばしていた。


暗転時はディスコのような音楽だったが、サゲと言っても構わないエンディングは囃子が聞こえてくるようなすっきりした閉じ方だった。情報は流行、そんなものが身近に渦巻いていながらも、確固とした自己を持っていればむやみに流されることなく、自分にとって必要な部分だけを気軽にとることはできるだろう。そしてSNSに限ったことではなく、酒を飲んだ時以外は身の振る舞いを慎重にするのは、衣服や性格をだらしなく着こなさない為で、鼻持ちならなくとも、気品を持って発言を慎むことは大切だと、自分で文章に纏めておきながら、その正反対に生きている自身の都合の良さが見えてしまった。

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