11月15日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで成瀬巳喜男監督の「鰯雲」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで成瀬巳喜男監督の「鰯雲」を観る。


1958年(昭和33年) 東宝 129分 カラー 35mm


監督:成瀬巳喜男

原作:和田傳

脚本:橋本忍

音楽:斎藤一郎

撮影:玉井正夫

出演:淡島千景、中村鴈治郎、小林桂樹、木村功、太刀川洋一、司葉子、飯田蝶子、新珠三千代、杉村春子、清川虹子、大塚国夫


批評という単語が自分にとってどのような定義があり、またレビューという言葉もどのような意味を持っているかはっきりしないが、自分の書いている文章はあくまで個人的な感想文でしかない、そんな位置づけが基本にあるので、主観による主観によって体験した対象に好き勝手な感想を述べて消化している。それはひどく無責任な行為であり、そもそも言葉を並べるということはそれらしく言っているだけで下手な伝言ゲームの紆余曲折の結果のように、まったくあてにならないと断定できるほどだ。書いている本人が自分の文章を信用しておらず、読んでそれらしく伝わってくるが、実際に作品を観れば嘘ばかり張り付けている、そんな場合がほとんどだろう。批評と言えば責任を負うようで、感想文と言えば責任を放棄して身勝手な真似ができる、そんな逃げるような態度が日々の文章を打ち込んでいる。今日観た映画も客観的な立場というか、批評家らしい態度をいつも気取っていたならば、厚木は懐かしい、などと自分以外は誰もわからない閉鎖的な感想は書けないだろう。


成瀬監督の初めて観たカラー作品は、モノクロとは異なる完璧に近い構造で形成されていた。大好きな女優の筆頭にあがる淡島千景さんが色を持って画面にあり、最初は肌が古びて歳をとったせいかと思ったが、不倫相手との関係で色艶よくなり、また着物も地味な感じがなくなってどんどん冴えて美しくなっていく。


舞台は相模原と町田に住んでいた自分からすると、丹沢山塊の見える相模川の向こうの話で、神奈川県の色がより濃くなった印象のある厚木だろうか。今なら快速特急で新宿まで1時間以内で行けるだろうか、都心からそれほど遠くない土地ではあるが、七沢温泉に入りに本厚木駅からバスに乗った昔がよみがえり、少し離れると自然の風景がぐっと近づいてきた、そんな記憶が作品で映される山と田圃の光景から懐古的な叙情を自分の中に繰り広げさせた。バス釣りに行った津久井も地名として台詞にあり、小さい頃のざりがに釣りから、高校生の川遊びで水に浸かってばかりいて、大きくなればたき火をしたり音楽をしたりと、多摩川なんかよりはるかに繁茂した野性的な自然で迎えてくれた相模川……、とにかく知らない土地ではないので、昔の景色が特別な情感をもたらしてくれた。


先月から観ている成瀬監督の作品にしては男性の心情により的を当てた映画で、農地改革を含めて時代に取り残されていく地主の家長の悲哀が見事に描かれている。キャスティングがこの上なくすばらしく、凝り固まった顔の二代目中村鴈治郎さんの存在だけでも骨董品らしいのに、やはり血の絆でつながりあう本家と分家に、離婚した前妻も含めた人物が散らばることなく、押し出し過ぎずに群像を描ききっている。


多摩川を越えれば神奈川になり、さらに相模川を越えれば小田原の香りが濃くなる小田急線は、地方からすれば都市圏かもしれないが、静岡や山梨から連なる山々を背景にだだっ広くある田畑の光景は、やはり百姓らしい田舎なのだ。親戚の借金をかたに南多摩郡鶴川村の地主の衰退を母親から散々聞かされてきた自分は、この映画によって先祖が守り残してきた田圃を売ることへの意味を初めて知ることになった。


カラー作品になっても変わらない成瀬監督の細やかな情緒はより鋭敏に画面に残り、昨日観た映画も傑作なら、この作品は今まで観てきた日本映画の中でも手の平におさまる屈指の内容だろう。生まれ育ってきた環境がそうさせるなら、それは真っ当な個人の感想文になり、所詮、大局観を持てない人物は自分の視点から離れられないのだろう。

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