11月14日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで成瀬巳喜男監督の「流れる」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで成瀬巳喜男監督の「流れる」を観る。


1956年(昭和31年) 東宝 116分 白黒 35mm


監督:成瀬巳喜男

原作:幸田文

脚本:田中澄江、井手俊郎

音楽:斎藤一郎

撮影:玉井正夫

美術:中古智

出演:田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子、栗島すみ子、中北千枝子、加東大介


成瀬巳喜男監督の表現に慣れてきたというのは大きいだろう。初めて観た「おかあさん」のように、描かれる内容に心情を寄せることはできただろうが、細微なカットと編集にここまで目をみはることはなかっただろう。フランス映画特集が挟まれたので、前回観た「驟雨」の印象からずいぶんと時間が経ってしまった気がするも、次第に作品の質が良く味わえるような実感は角度が鋭くなくとも曲線上に進み、今日こそが本当の代表作と思わせるほどの内容があった。


眠たくなる場面がある、そんな感想を何度か残しているように、おそらくそのような時間帯が今日もあったのだろうが、眠気に沈むことはほとんどなかった。それよりも細かいカットの旨味があまりにおいしく、日本の映画史に名を残す女優さん達の素晴らしい演技に驚かされるばかりだった。田中さん、山田さん、高峰さん、岡田さん、杉村さん、そして栗島さん、贅沢な役者さんがそれぞれの持ち味を活かした女の個性を発揮して、一軒家に生活する芸者を含めた女性達の姿が鮮明に描かれている。それが不自然ではなく、人物像がぼやけることなく、それでいてむらのない生色にあるので、男性の端役を含めてどれもが見逃せない滋味を持っている。


表情や仕草をとらえた執拗なカットは細やかな神経のなせる技で、もはや男性よりも女性だと断定できるほど異常な性向だろう。男にはとても汲み取れない一つの言葉に対する早とちりなほど裏をとる理解力と、自己の中に存在する感情が曲解させる話し方へのせっかちな採集など、女性の持つ性情の機微が徹底して表されている。それが実におもしろい。


オーケストラまではいかなくとも、10人近い編成の室内楽のような素晴らしい掛け合いは緻密に構成されていて、大川沿いの男女の散歩に至るまでは、狭い区内での女性模様が虫眼鏡で観察するように動きを捉えていく。この細かさは男性にはなく、さすが花と例えられるだけあって繊細なものだ。男性などと言っては失礼になるとも、もっと弾力を持った筋肉の会話が前に出てしまうだろう。


数年前のNHKラジオフランス語講座に出演していたフランス人女性が、成瀬監督の研究をしていた理由をここになって理解した。昨日観たフランス映画作品での日本などとは惑星の異なった紛れもない本物の日本が存在しており、これほど的確に日本女性を紡ぎ出す監督は他にいないだろうし、他の国にも見つけることはできないだろう。唯一無二のエッセンスを保持している。


慣れてしまったからだろうか、それとも作品そのものが素晴らしいからだろうか、控えめに女性の感情を切り取り続ける今日の映画は本当に良かった。この作品を繰り返し観れば、女性の本質がつかめるなどと間違った錯覚を起こすほどよく描かれている。そして実際に何度も目にしたなら、ある種の形式的な反応は持っているかもしれないが、その発現は無限にあり、とても手に負えるものではないと気づかせてくれるに違いない。

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