11月8日(金) 広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学セシリアホールで「セシリアホール開館40周年 エリザベト音楽大学コンサートシリーズ『マーティン・ヒューズ客員教授 ピアノ・リサイタル』」を聴く。

広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学セシリアホールで「セシリアホール開館40周年 エリザベト音楽大学コンサートシリーズ『マーティン・ヒューズ客員教授 ピアノ・リサイタル』」を聴く。


ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ長調 Op.83

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 Op.22

フォーレ:夜想曲 第6番 変ニ長調 Op.63

ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 Op.58


理知的で、哲学的な音楽性を感じる演奏会だった。芸術としての音楽に対して個人的な情感よりも、学問として追求された振れのない、それでいて多彩で明確な表現を持ったピアノだった。


秋の深まりによって憂鬱な気分に沈んでいく主な理由が、太陽の少なさに空気の冷え込みと、湿気の去ってしまうことだろう。ちょうどこの日は十日市の交差点のむこうにある恵比寿神社から仕事場まで祭囃子が聞こえていて、スピーカーからの音源とはいえ夕方から情感を揺さぶられていた。足を伸ばせば大きな祭りではなく、あっけなささえ感じるのに、見えないところからの音楽だけで随分と気分は違っていた。暑い夏の盛り上がりが聞こえてくるのではなく、澄んだ空気を通してひっそりとした雰囲気があり、ひょっとしたら誰もそこにいないのではと思われる過去の亡霊を感じるように。


そんな情念を浮かばせる今の空気がセシリアホールに立ち込めていて、明るい印象があるもほとんど知らないハイドンという作曲家の音色が、どことなく哀悼を持って響いていた。プログラムの解説からこの曲の作られた経緯を読んだのもあるが、沈鬱まではいかなくても、静かに想いに耽る一音一音があった。


響くホールというのもあるだろうが、この日はとにかく音の持つ意志がわかりやすく伝わってきて、優れた料理や菓子を食べた時に味覚にのぼる繊細なニュアンスがはっきり取れるように、ぼやけたところなど一切なかった。


元気に威勢良く、時には雄々しくもあったベートーヴェンに、フォーレらしい音の運びと色彩が繊細に描かれた夜想曲も、教科書通りとは言わないが、クラシック音楽と一括にされがちな印象の中には、こんなにも豊かな違いがあることを教えてくれる。


そしてショパンの曲の中で第1に好きになったピアノ・ソナタ第3番は、非常に好ましい表現にあって、最もスケールの大きな演奏だった。ピアノの詩人と呼ばれる理由は端々に感じられるが、むしろピアノのお喋りとも思えるほど音が上下に疾走する。じっとしていられず、赤い靴を履いたようにとある何かが彼を突き動かさずにはいられないように、それはとてもナイーブで、ベートーヴェンのような巨人の持つ反骨的な熱情ではく、どこか儚げで、諦めたような死を背後に潜めているようだ。音源ではそれほど味わえていなかった第3楽章こそ新しい印象はあったが、耳に残りやすい第4楽章を聴いて、こういうわかりやすい、錯雑とした分裂気質を好む自分を見つけてしまう。酔いに酔い、揺れに揺れて、それでも歩を進める暴力的な、孤独で救いのない悲痛な魂に魅せられてしまう。


ひんやりした中の音が最上に聴こえていた。今の季節だけにある空気を通して、孤独の中で音楽と向き合い続ける音楽家の精緻な響きに、簡単に言えば、本物の芸術が一貫して存在していた。

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