10月9日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでシン・サンオク監督の「ロマンス・パパ」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでシン・サンオク監督の「ロマンス・パパ」を観る。


1960年 韓国 131分 白黒 DVD 日本語字幕


監督:シン・サンオク

脚本:キム・ヒチャン

撮影:チョン・ヘジュン

音楽:キム・ソンデ

出演:キム・スンホ、チュ・ズンニョ、チェ・ウニ、キム・ジンギュ、ナムグン・ウォン、ト・グンボン、シン・ソンイル、オム・エンナン


モノクロ映画によって西洋諸国の昔からの町並みを観ることはあり、最近でもグルジア映画で古めかしさに輝くトビリシを目の当たりにして懐郷と似た情緒を感じ得たが、それとは異なり、身内の古い写真をたまたま見つけて、遠い有名人の昔を知っていながら、こんな近くにいた人の以前の姿に思いもかけていなかったことに驚くような感慨を覚えた。


塀の連なる民家の扉を開けると中庭があり、そこを中心に開けた部屋が囲むようにある。屋根は反りがあって厳めしく、話す言葉を抜かして映像だけを見れば、これは中国の映画だろうかと勘違いするほど儒教の香りが文化として根付いているように思える。


娘3人息子2人のいる家族の、それほど富裕ではないが円満な姿が夫婦と共に描き出される。それが息の長いショットによって劇のような展開となり、眠気が多少でもあるならばそれが増幅されるほどの描き方なので、小さい頃に正月での家族の集まりで大人達の会話が退屈に思えるような時間の流れ方がある。それを味わうのに忍耐を必要とするも、意匠に基づいた細かい言行があり、靴を巡ってアダムまで持ち出す兄弟の論争や、子供達に一杯食わされる夫婦の関係の再確認などは、眠くても実に面白い。


こんな平和ボケしたありきたりの家族の風景がいつまでも続く地味な物語かと思いきや、泥棒が登場する落語話のような人情劇の場面で先の展開が示唆される。そこで提示されたリストラの話が実際に起きてこの映画の大きい分岐点を折れると、悠長とした長さのショットは隠れてしまい、支えのないことの不安が漂う細かいカットの繋ぎとなる。ここに来て、あのとぼけた長いショットの編集が意味を持ってラストへと効果を表していく。


西洋人の観点からすれば、日本と韓国の映画に登場する人物に細かい違いを見つけられないだろうと思うほど、自分にも理解できる暖かい家族の絵がこの映画にある。やや誇張的な親愛表現かもしれないが、観ていて本当に気分が良い作品となっている。黒沢明監督の「生きる」の主人公の志村喬さんに父親の顔が似ているので、リストラされてから幽霊のように漂う姿は同じように見える。それがとても親近感を沸かせる。


子宝と良妻という言葉の実例を示したこの映画を観て、韓国こそ、世界中のどの国よりも日本と兄弟のような間柄にあり、中国は2ヶ国の文化の親としながら、焼き物の技術などは兄のような韓国から、すでにはき慣れた靴をお古のように弟とする日本へ渡ってきたのだと、そんな比喩を起こしてしまう。


ある人間同士の仲の悪さが、子供の兄弟喧嘩のような関係ならば良いと、率直に願ってしまう作品だった。

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