10月8日(火) 広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「ドビュッシー弦楽四重奏団」を聴く。

広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「ドビュッシー弦楽四重奏団」を聴く。


第一ヴァイオリン:クリストフ・コレット

第二ヴァイオリン:マルク・ヴィエーユフォン

ヴィオラ:ヴァンサン・ドゥプレク

チェロ:セドリック・コンション

フルート:高橋亜希子

ピアノ:松元あや


モーツァルト:ディヴェルティメント ヘ長調 K.138

モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 k.285

モーツァルト:フルート四重奏曲 第4番 イ長調 k.298

シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調

アンコール

ショパン:ワルツ

ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女

ドビュッシー:ミンストレル


主催が「広島ウィーン倶楽部(広島の演奏家を応援する支援プロジェクト)」とあり、高橋亜希子さんとのフルート四重奏曲を聴いていて経験を積む意味合いも大きいように思えた。第一ヴァイオリンのコレットさんの動きに先生のような見守る姿勢があり、とても親和を感じる演奏となっていた。


ディベルティメントは、モーツァルトにしては瑞々しく流れる演奏になっているも、恐ろしく無駄のない各声部の音色は瞭然としていて、それはドイツらしい古典的な響きではないにしてもモーツァルトの曲が持つ性格を捻じ曲げることなく、軽妙な部分が前に出て音楽の美しさと楽しさがより表れていた。


そこに高橋さんが入ると、余裕を持って輪を作り、フルートを各弦楽器が優しく頼もしく支えているので、澄んだモーツァルトらしい音色は木管楽器から真っ直ぐに吹き鳴らされていた。こうしてあらためてモーツァルトを聴いていると、普段音源で聴くことはほとんどないから表現の差異はほとんどわからないが、聴くたびに磨きあがった玉のような曲の構造に驚かされて、これ以上はつるつるしない印象を受ける。間違いなく、自分はモーツァルトの偉大さをわずかも知らないのだろう。


それに比べるとシューマンの室内楽はずっと人間臭い。これ以上手の施しようがない完璧な定型の詩句を見てから、なんだか蒲団臭い私小説の文体を前にするようだ。だがこれが自分の好みなのだ。マーラーも個人の内面が鬱勃している。キャッチーであり、傍からみれば白けるほど自己に溺れる作品が好みで、趣味に合わなければ全く見向きもしないが、一致すると鏡を破って中に飛び込んでしまいたくなる程の磁力が発生する。


ヴァイオリン協奏曲で一番好きなのは何かと訊かれればベートーヴェンと答えるように、ピアノ協奏曲になればシューマンになる。特にアルゲリッチのピアノだ。この曲を聴くたびに、生きる喜びが全身に溢れ出してきて、特に第3楽章では素晴らしい人生が輝かしい走馬灯として青春ばかりを映し出してくれて、何歳だって若くなれるような気がする。たいてい暗いのや激しいのを好む性質なのに、これだけは特別に輝かしさに憧れる。


そんなシューマンの素晴らしい情熱を生で感じられるピアノ五重奏曲だった。ドイツらしいリズムとアタックはないが、フランス語らしい早口で熱っぽく夢中に語りながらも入れ込み過ぎずに力の抜けたシューマンで、それはそれでとても自由に生きる国民性がマッチしていて、新奇に対して赤児のような好奇心で睦んでしまう頭と体を自立して持った気風が好ましく感じられた。第1楽章からモーツァルトではこうもスポットを当てられずに調和にいたチェロとヴィオラの音色が、ロマン派らしいとても良い意味の出しゃばりな音を鳴らしていた。チェロのコンションさんは珍しく演奏中に客席へ目を投げる人で、分厚くはないが軽くない、線はどちらかというと細いのに妙に心地よく響いてくる音色だった。


久しぶりに各楽章を眠気など一切感じることなく味わい尽くし、表情の緩んだままついつい頭を揺らし、曲の終わっていくのが惜しくて悲しくなるくらいだった。それはピアノの松元あやさんの演奏が大きな影響を与えていて、音の粒が太くて化粧っ気がなく、大雑把にはめればアルゲリッチらしいパッションと走り方をするので、それぞれが良い影響を与えて盛り上がっていく音楽の素晴らしさがはっきりと表れていた。特に第4楽章でハンマーを思い切り叩いたような低音が響き、腕っぷしの良い度胸のある女性だと感心してしまった。


そんな音楽の素晴らしさを純粋に味わう時間が終わったら、期待通りアンコールがあった。まずはショパンのワルツをピアノで聴いて、これまたショパンの真価を何もわかっていないのだと含みのある穏やかな和音を聴いて思った。次にドビュッシーの亜麻色の髪の乙女で、これが4人立っての演奏なのだが、モダンダンスとの共演もあるからだろう、派手な動きがあるわけではないのにただ立って弾くだけで音楽の語りかけがより密接になってくるから不思議だ。それに甘ったるく演奏されることの多いこの曲が、ただ牧歌的というよりも、民族音楽を聴いて情景を浮かばせるように強烈な素朴さでさっと流れて、これこそが正真正銘の響きなのだと幻覚の色と風を観るほどの情景が頭に浮かんだ。続いて、ドビュッシーのミンストレルがピチカートで演奏されて、音楽というのはこれほどに性格と情感を持つ表現なのだと、フランス人らしい知性のあるユーモアが一音一音にお喋りされていた。


世界にある国々のそれぞれが好きな中でも、あらためて自分はフランスが好きなのだと笑顔とユーモアに満ちたドビュッシー弦楽四重奏団を観て考えた。絵画、音楽、食、各文化はどれも個性的な要素を持っているが、何が一番好きかと訊かれれば、国民性と答えるだろう。ストライキは多く、辛辣なユーモアを持ちはするが、別け隔てなく良いものは良いと言い、悪いものは悪いとみなす人間らしさがあり、この率直で純粋な好奇心が育む知性の結晶のような性質があらゆる点に表れている。そしてなにより、マルセル・プルーストの文学が存在するという事実が、依怙贔屓ともいえる関心をこの国に持たせるのだろう。


久しぶりに子供らしい笑顔で楽しめた音楽会だった。

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