10月6日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・大ホールで「広島市民劇場2019年10月例会『俳優座劇場プロデュースNo.108 音楽劇 人形の家』」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・大ホールで「広島市民劇場2019年10月例会『俳優座劇場プロデュースNo.108 音楽劇 人形の家』」を観る。


作:イプセン

翻訳:原千代海

演出:西川信廣

作曲・音楽:上田亨

作詞:宮原芽映

出演:土居裕子、大場泰正、畠中洋、古坂るみ子、進藤忠、長浜奈津子、川口大地、本田玲央、納田洸太、樋山雄作、仙崎貴子、竹本瞳子、宮田佳奈


戯曲を読み終えた時の実感は今でも覚えていて、東区民文化センターで第七劇場による生の舞台を観た時も期待に違わぬ感動があった。イプセンのこの作品は自分にとって、文章でも役者でも媒体は選ばず、深い芸術としての感動を常に与えてくれて、観劇へ行く由来の一つとして大きい位置を締めている。


昨年のこまつ座による「マンザナ、わが町」で土居裕子さんの声の美しさと、小さい顔の愛らしさに優なる実力をすでに観ていたので、音楽劇という演出の今回の舞台がとても楽しみだった。


毎回市民劇場による舞台を観ては同じ事を書いているが、やはり素晴らしい。まず目を引くのが舞台装置で、クリムトの「接吻」と「ユディト」の描かれた衝立が幕として前面にあり、劇の進行でその絵が何を意味しているのか自然と繋がりをつけてくる。小鳥のノラと自立のノラをそれぞれが象徴していて、それがクリムトの意図とは異なるにしても、この舞台では明瞭な関連付けによって物語っている。


衝立が円形のレールに沿って後景に移動されると、ソファーとロッキングチェアに平テーブルのある富裕な部屋が現れて、クリムトの絵の裏には「四季」の『春』と、もう一方は自分の席からは見えなかったがミュシャの絵が2枚登場し、同時代のアール・ヌーヴォーらしい枝葉の曲線による透かし彫りも施されていて、その装飾からの明かりで幻惑的な光と影が作られる。厳めしい装丁の書物が棚に並び、左右にガレオン船という言葉を浮かばせる帆船模型もあり、当時の雰囲気が密やかな基調を持って描き出されている。


それはノラを包んでいる豪華だが慎みを持つ黒のドレスにも照応していて、木組みの鳥かごを隠し込んだようなスカートの膨らみが、それを着て小鳥と呼称される本人自身との対応を感じさせる。アンサンブルと呼ばれる歌い手達の衣装も、余計なおしゃべりはしないと襟のデザインが口を塞いでいるようでいて、体の線に流れる腰のくびれた細身のドレスは、あたかも貞節を守るような尼僧らしい印象を与える。


そんな富と気品が冷たくたたずむ視覚の中で、音楽もやはり白夜の薄暗さが永遠に続くような音色で統一されている。それはミニマル・ミュージックの要素を持った反復するメロディーを基本として、ピアノ、ヴァイオリン、バンドネオンが奏され、時には蛇腹のリード楽器はアコーディオンとの区別がつかず、ふとすればクラリネットも吹かれている。それに乗せて派手に歌われるのではなく、人間の神妙な機微が底面で心細く吐露するようで、だれもが弱い存在であることを感じ取れる。この舞台はクリムトとミュシャのユーゲントシュティールに彩られているが、この戯曲そのものが持つ暗さは、やはり同国人であるムンクの描く臨終のそばにいる人々の持つ色が備わっている。


歌が大きな顔を見せず、あくまで劇を引き立てる仕掛けとして挟まれているので、演技から歌、歌から演技へと転じる際の照明とその空間は、非情に滑らかにつながれていて、ただわかりやすく楽しめる為の歌唱に留まらず、ぐっと登場人物への焦点と距離を近づけるような、親密に舞台を締める効果を鮮やかに感じた。だから戯曲に描かれた芝居はそのままの質を保ちつつ、異なった要素がそれをより全面に引き出す形として、まさにしめやかに背後で囁くアンサンブルのように、影から光を照らして人物の陰影を色濃くしていた。


一人一人が心を抱えて描かれるなかでも、やはり際だって魅力を放っていたのが土井さんのノラで、特別に澄んだ声と大きくない体に愛嬌はあるも、芯が強く、心根に正直な一人奮闘する女性が見事に演じられていた。どの台詞にも惹きつけてやまない情感や細微な情意があり、こういう事情であれば偽のサインをしてもいいと書いてあるはずよ、というような意味の台詞の場面では、多くの観客がうなずいたに違いない。


可愛い小鳥をどう見るか。その歌声と愛らしさに惑わされずに、存在としての本質を覗けるなら、愛玩するだけのような軽薄な振る舞いにならず、敬意をもって発する信号の意味を汲めただろうに。いかに人間はあるべきか、名作と言われる作品が持つ慎重な問いかけに、再び自身の存在を照らし合わせる事となった。

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