10月5日(土) 広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学・ザビエルホールで「ボリス・ペトルシャンスキー ピアノリサイタル」を聴く。

広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学・ザビエルホールで「ボリス・ペトルシャンスキー ピアノリサイタル」を聴く。


ハイドン:アンダンテと変奏曲 Hob.ⅩⅤⅡ:6 Op.83 ヘ短調

シューベルト:即興曲集 D935 Op.142

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第6番 “戦争ソナタ”Op.82 イ長調

アンコール3曲


ソビエト時代のモスクワで生まれ育った人がプロコフィエフの「戦争ソナタ」を弾くので聴きに行った。


前半のハイドンは見本のような和音が自然に響き、澄んだ玉の粒ではなく、余計な装飾をまとわない芯の堅そうな音が綺麗に鳴っていた。それに比べるとシューベルトは情緒が加わり、音量の大小と音色の幅はより広がって柔軟に響いていた。日本人女性の演奏で甘いニュアンスや空想的な意味が聴こえた経験があるも、見るからに哲人らしい風貌どおりのこの老練なピアニストは持てる力と想像力をそそぎ込み、妥協を許さない緊迫した演奏で披露した。おそらく、毎回このような渾身のパッションにあるのだろう。


曲を知るのに、宇宙に流れる映像や、カップ麺のコマーシャルを介して耳馴染む場合があるように、このプロコフィエフのピアノ曲もとある場所で知った。ワーキングホリデーでパリにいた時に、フランス人に怯えて有名な日本人宿に引き籠もっていた。ギャラリーも兼ねている老舗のゲストハウスは1階に小部屋があり、コンセルヴァトワールに通う日本人男性のピアニストが仮住まいしていて、薄い壁を通してこの曲の第1楽章と第4楽章が繰り返し練習されていた。当時プロコフィエフの音楽を知らなかった自分は無知をひけらかして、その人が作曲した即興曲かと尋ねたところ、驚きながら違うと説明してくれた。出鱈目に演奏しているように聞こえる和音とメロディーが耳慣れず、クラシック音楽とは思えなかった。今となっては恥ずかしい質問をしたと、この曲を聴く度に思い出す。


音源で聴くのと異なり、生の演奏でこの曲に接すると、これほど激しい音楽なのかと驚愕した。一度二度ではなく、2ヶ月近く毎日生で聴いていたのに、こんな凶暴な曲だとは知らなかった。ハンマーや大砲に、速射砲が至るところで打ち鳴らされて、あまりの激しさに、第1楽章の途中でピアノの弦が演奏の衝撃で切れたらしく、金属がすかすかする音が混じりだした。珍しいことなのだろうか、第2楽章の前に調律師が弦を交換しているようだった。


拳で思い切り叩くのと同じエネルギーを、刀の居合い抜きのように先鋭化して低音の和音を破裂させている。さわるようなタッチの短音は、小銃を軽く打つように易々と鳴らされる。大小様々のうねり暴れる緩急が渦巻いて、それにあまりの音の多さが連続して、神経がすり減っていく。おしゃべりな諧謔性を持ったプロコフィエフらしい暴虐は、地面に次々と大砲が撃ち込まれて礫がパーティーのように宙を飛び交うようだ。


あの宿の小部屋の中で、これほどの音の狂乱が日頃行われていたのだろうかと考えてしまう。本番に至るまでの練習で、どれだけのカロリーが消費されるのだろう。小説の構想のメモや、絵の習作に見逃せない価値があるように、練習風景にも目の覚めるもったいない無駄遣いがあるのだろう。


音に食いつぶされそうな演奏で、これだけの表現はなかなかないだろう。生まれ育った環境がど真ん中だから、実に貴重な演奏会だった。演奏後の脱力感に怪物のような集中力の果てを見て、強面が笑わずに、聴衆を眺める姿は冷静に品定めする巨人のようでもあった。


とはいえ、相好をほとんど崩さない人というのは愛嬌のある人が多く、アンコールを3曲演奏して、目立って笑うことなく、にこりと目で殺すように微笑んでいた。それがとても良き人に見えるのだ。


終わってみれば、軽さなど微塵もない、ソ連の中から音楽に生涯を捧げてきた芸術家のありのままの姿があり、惜しみない拍手と歓声がその存在を讃えるという、素晴らしい演奏会だった。

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