9月27日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでレヴァン・コグアシュヴィリ監督の「ブラインド・デート」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでレヴァン・コグアシュヴィリ監督の「ブラインド・デート」を観る。


2013年 98分 カラー Blu-ray ジョージア語 日本語字幕


監督:レヴァン・コグアシュヴィリ

脚本:ボリス・フルミン、レヴァン・コグアシュヴィリ、アンドロ・サクヴァレリゼ

撮影:タト・コテティシュヴィリ

音楽:パアタ・ゴジアシュヴィリ

出演:アンドロ・サクヴァレリゼ、イア・スヒタシュヴィリ、アルチル・キコゼ、ヴァホ・チャチャニゼ、カヒ・カフサゼ


こういう作品を前にすると、まず頭に浮かぶのが“こころ”という言葉だ。それは夏目漱石の小説を発端として、今までの人生で出会ってきた人や小説、映画、音楽作品などを幾度となく形容して、こちらの心を濯いでくれた。特に人物の場合は日本で会うよりも、旅行中にあてはまることが多かった。それはおそらく、言葉が通じにくい分だけ、別を頼りに観ようとしたからだろう。


イルディコー・エニェディ監督の「心と体と」で感じた以来だろうか、この作品もそれほど台詞は多くない。だからこそ退屈に思える静かな画面の息の長いショットの中で、人物の動きが多くの会話をしているので、言葉ならば意味をそれなりにつかめるところを、身体がメッセージを発し続けていては、どうしても目が足りなくなってしまう。


狭く味気ない簡易ホテルの密室での長く続くショットでは、今の言葉なら“気まずい”という風に言われるだろうが、そんな薄っぺらにはあてはめられない。内気と内気、遠慮と遠慮の向かい合いではなく、むしろ決闘のような対峙がぽつりぽつりと言葉にと動きに表れている。それは個人という存在が、インターネットという媒体で知り合いつながろうとする慣れない惑いと、ある種の罪悪感もあるのだろう。しかしそれは前半の部屋の中であって、後半の部屋では、見えないからこそ率直に言葉をつぶやく少女が上手をとっている。


息子の結婚と人生をおせっかいに心配する高齢の両親の口うるささは、今の日本人と異なり遠慮がない。特に父親が息子に対して怒るシーンの熱のこもり方は、魔神のように厳めしく、恐ろしいまでの身振りに表れる。


遠近と間合いのとれたショットが多く、ぞくっとするほど釘付けにされるシーンが後半に多い。特に好きだったのが、男性がホテルの窓からトビリシの情景を説明するシーンで、カメラは外から窓際に立つ男と、ベッドに座り話しを聞くサングラスの女性の横顔が奥に映る。ああいうシーンがあるからこそ、映画という表現媒体はすばらしいのだろうと、男が窓際を離れたあとのガラスの反射を観て思う。


見るからに冴えず、静かで感情も表すことなく、むしろ愚図々々して見える禿げ上がった主人公の男性が、しだいに頼もしく見えていく。“あし”のように使われたのに、その相手を友達と言い、その責任さえとろうとする。傍からみたら、馬鹿がつくほどのお人好しなのだ。


それでも自分で行動を移し、人間としての大きさも後半に見えてくるのは、なぜだろか。解説としてのショットは少なく、誤解されて責められたあとの大幅な省略は絶妙な階調があった。口数が少ないこと、それは決して悪いことではない。


おそらく、自分が“こころ”と形容したくなる対象とは、無駄に多く語らず、優しい心情がただそこにある存在なのだろう。きっとそういう人はあまり面白味がないのかもしれないが、嫌なことばかりじゃないと見直したり、立ち直らせたりするのは、そういうものなのだろう。

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