9月26日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでギオルギ・ムレヴリシュヴィリ監督の「映像」とルスダン・チコニア監督の「微笑んで」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでギオルギ・ムレヴリシュヴィリ監督の「映像」とルスダン・チコニア監督の「微笑んで」を観る。


「映像」


2010年 11分 カラー Blu-ray ジョージア語 日本語字幕


監督:ギオルギ・ムレヴリシュヴィリ


「微笑んで」


2012年 92分 カラー Blu-ray ジョージア語 日本語字幕


脚本・監督:ルスダン・チコニア

撮影:コンスタンティネ・エサゼ


出演:イア・スヒタシュヴィリ、ナナ・ショニア、タマル・ブブニカシュヴィリ、エカ・カルトヴェリシュヴィリ、ショレナ・ベガシュヴィリ


「映像」は作品名どおりに取る他にない。「スヴァネティの塩」と同じ舞台となるウシュグリらしき村は、モノクロ映像に色を足したからといって、ここまで神々しい自然が眼前に広がるものだろうか。この場所は、神によって選ばれた特別な才能のある人間が存在するように、定められた奇異な土地なのだろう。自分の訪れたことのある標高の高い町を振り返ると、チベットのシガツェが約3800メートルで、中国の香格里拉が約3300、ペルーのワラスが約3000で、それに比べると約2400メートルのウシュグリは低い所にあると思うが、標高ではなく、まわりに聳える山々が異なるのだろう。どの場所も素晴らしい景色があるに違いないが、ウシュグリのような孤立はなかった。


凝縮せずとも、そのままでとびきりの自然風景となっている11分間には、心の涎が垂れる。憧れに憧れが覆いかぶさり、塩を運ぶ途中に全滅したあの映画のような暗さはない。厳しい環境はその土地から理解できるが、花真っ盛りの輝かしい季節の一風景のご馳走となっていて、山の稜線を転がるように童心へと戻っていく。どのカットも絵になるだろうが、チョングリだろうか、弦楽器の素朴な音色と共に、古いカメラを回して景色を撮る少年が素晴らしい。その対象には、屋根の平たい石を重そうに持ち上げる人の姿がある。その石は、あの映画で必死に切り、運んでいた石だろうかと、モノクロ映画の強い印象がやはり塗り絵されている。


「微笑んで」は、きらびやかなステージ上の並んだ微笑みのあとの、青ざめた画面の緊迫した部屋のシーンにより、冒頭から短絡的な光と影をこの作品にあてはめようとしてしまう。あとはグルジアの母なるコンテストを舞台に、何人もの女性が登場して、群像劇らしい物語にでもなりそうなそれぞれの生活が端的に最初は描かれる。


グルジアの母となるべく選ばれた女性たちは、子供がいない、アブハジアからの避難民、未亡人、不倫する中年、母親が付き添ってくる、家を銀行におさえられるなど、誰もがまぎれもないグルジアの母たちなのだ。彼女はでっぷり太ったバーブシュカらしい豊満にあるのではなく、テレビ中継されるコンテストに選ばれるだけあって個性の光る美を持っているものの、抱えている問題もそれぞれにある。誰もが主役になれるだけの背景はあるも、コンテストに参加する登場人物の多くは端役でしかなく、各々の持ち味を活かして進行に添えていくも、主役はやはりイア・スヒタシュヴィリさん演じるグヴァンツァなのだ。


細身のプロポーションのグヴァンツァも他の女性同様に、人生の中で逃してきた機会を取り戻すべくこのコンテストに参加しており、N響の首席指揮者であるパーヴィ・ヤルヴィに似たプロデューサーとの男女関係や、同じようにコンテストに参加している隣人女性と罵倒しあいながらも底で通じている友情に、以前の男らしきジャンベのようなドラムを叩く男との瞬間的な情事など、色々な悶着を持っている。演奏家として育ってきたらしくヴァイオリンの演奏に恐れと希望の混在する執着を持つも、何かを取り戻すべくバッハのシャコンヌを演奏するよりは、どうもラヴェルのツィガーヌの方が性質として釣り合うようだ。


作られた番組の為にどこまで自身を柔軟にできるのだろうか。紛争で亡くなった人を語るのにわざわざ感情をこめるよう仕向けたり、水着を着ることはないと説明しながら契約書にずる賢く明記して、番組を降りた場合の高額な違約金を定めたりと、栄光を得るためには汚らしい真似もしなければならないと高圧的な物腰で迫ってくる。それに合わせるのは、はたして柔軟と呼べるのだろうか。


物語は冒頭に描き出されたシーンへと落ち着くのだが、そこに至るまでにはめていた画一的な物語は薄れて、様々に勃発した人間本性の奥へ奥へと引きずり込んでいく裸の喧噪が、その瞬間だけみればただの惨事となるものを、正義と権利を持って痛ましく見つめさせる。簡単に言ってしまえば、グルジアの母といって、食い物にして弄んでいるだけなのだ。


グヴァンツァのスマートな体は何人ともぶつかり合う。様々な裸のシーンがあり、男による凄惨なリンチとは異なる感情のまま相手を打ちのめす女性の本能に怖じ気づくも、やはり女性はやわじゃないと思わせる。心の内を強くして、再び皆の前に平然と現れる。とはいえ、並の人間はそんなに強くはいられない。


過激なまでにユーモアが効いたラストシーンに、何を思うか。結局問われるのは、誇りなのだろう。

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