9月25日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでダヴィド・ジャネリゼ監督の「メイダン 世界のへそ」とルスダン・ピルヴェリ監督の「少年スサ」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでダヴィド・ジャネリゼ監督の「メイダン 世界のへそ」とルスダン・ピルヴェリ監督の「少年スサ」を観る。


「メイダン 世界のへそ」


2004年 52分 カラー Blu-ray ジョージア語、アルメニア語他 日本語字幕


監督:ダヴィド・ジャネリゼ

脚本:ダヴィド・ジャネリゼ、ピテリアン・スミティ

撮影:ギオルギ・ゲルサミア

音楽:ギオルギ・ツィンツァゼ


「少年スサ」


2010年 76分 カラー Blu-ray ジョージア語 日本語字幕


監督:ルスダン・ピルヴェリ

脚本:ギオルギ・チャラウリ

撮影:ミリアン・シェンゲラヤ、イラクリ・ゲレイシュヴィリ

出演:アフタンディル・テトラゼ、ギア・ゴギシュヴィリ、エカテリネ・コバヒゼ、レヴァン・ロルトキファニゼ


まず思ったのが、晴れたトビリシだと。天気がその町の印象を強く決めるのを実感したのは、ベトナムの海岸リゾートの町ニャチャンに初めて訪れた時で、四日間すべてが荒天に続き、海は頭をはるかに越える大波が遠い沖から茶色に割れて、風が強く吹き、歩いている人はほとんど見かけなかったのだが、数年後に再度訪れたら、朝方の涼しい空気に青い海が広がり、まるで天国のように人々がロングショットのように憩っていて、こうも違うのかと静穏な風景に驚いた。


そのような印象の差異を受けた映像の中の旧市街は、雨に濡れず、路面は乾き、霧で曇ることもなかった。そぼ降る下を細い迷路のように歩き、人々はほぼ見なかったが、このドキュメンタリー作品の中で旧市街という名が示す通り歴史深い場所だと知った。アゼルバイジャン人、クルド人、アルメニア人や、アブハジア出身の家族、タブリーズから来た人、それに大昔にやってきたユダヤ人など、それぞれがトビリシを縁取るバルコニーから街を眺めて暮らしてきたことが知れる。4世紀のゾロアスター教の寺院の廃墟や、コンテナのように積まれた種なしパンの箱があり、そこにいる人の刻み込まれた険しい皺から、一本も弛んだ線の見あたらないみずみずしい表情まで、様々な民族の老若男女がカメラに生き生きと向かっている。


「ケトとコテ」でも何度も映されていて、自分の記憶でもトビリシの印象を思い出させるバルコニーこそこの街の窓なのだろう。自分が行った冬の雨には人々も閉まっていたが、時候が良ければ、活気ある人々が手すりに手をかけて小鳥のように会話をしているのだと、勝手な想像を膨らませる。


ラストシーンの野外上映会のズームアウトにトビリシへの賛歌が詰まっている。劇中に何度か流れた金管楽器の軽快なメロディーの中を、エンドロールは爽やかに行き交っていく。足下は水たまりが多く、歩きにくかったトビリシだけれども、雨が降ろうが晴れようが、この街の持つ雰囲気は結局何も変わって見えなかったのだと、天候には左右されない特別な歴史を思い知った。


1本目に観た「メイダン 世界のへそ」はあくまで他人行儀の個人が映し出されており、日常風景といえども、知らない人からカメラを向けられてインタビューされれば、つい人の良い顔をして大袈裟に身内を褒めたり、普段は不満ばかりしか口に出せない家作りを誇りに思って頷いたり、少なくない友人知人に語ってきたであろうもはや芸となっている小話を得意げに話したりと、日常とはかけ離れた慣れないレンズを前にして、自分個人という存在に着目されて良い面が引き出されるような形となっている。


しかし2本目に観た「少年スサ」は、メランコリーと冷たさの浸透した青みがかった画面に、音楽は一切口を挟まず、セリフも少なく、ぬかるんだ道やごみの散乱した通りを歩く少年一人のカットが多い。連日観ていたグルジア映画の自然豊かな色彩はなく、たしかにこういう風景の方が多かったのではないかと灰色に思い出させれる、緑のない殺風景ばかりが映される。


冒頭シーンで万華鏡を手作りするのだが、これが全てなのだろう。結局は持つべき視点にあって、様々な彩りに見えるのも、所詮は割れた瓶の破片でしかない。それらがただ回転して、刺々しいほどの線と色で花開いて見えるに過ぎない。


少年スサの生活は、置き換えてみればほぼ全ての人間に当てはまるとも言えるかもしれない。誰もが何かしらに従って生きていて、それが自身の信念なのか、目標か、他人の願いか、命令か、閉塞感か、考える力がないからか、勇気の欠如か、本能か、金か。何にしろ、雇われている人間の多くの目には、少年スサが毎日ウォッカをリュックにつめて歩く風景ともいえる。それでも、マルシュルトカで一緒になった女の子を気にして見たり、工場で一緒だった男に甘えて遊んだりと、無味乾燥に鋭い冷気が支配する単調な生活の中でも、やはり少年らしい無邪気さは内に秘めている。


目深に被ったニット帽子は目も隠れんばかりで、その横顔は寒さで赤みが浮いてガラス細工のように美しく、雪解けの水のように澄んだ印象を受ける。今の生活を知っているからだろう、少年なりに我慢しているのが、淡々としたショットのすべてにはびこっている。


「メイダン 世界のへそ」に登場する人々も、少年スサのような違法な生業ではなくても、単調な仕事をこなして生きてきた人は必ずいるだろう。ウォッカの密造所の長は、スサに人生の歩みを教える。苦労しながらも、耐えて、そうして進みながら今があると。結果が密造所の主であっても。


ふと、アウシュヴィッツで餓死刑に選ばれた男性の身代わりになったマキシミリアノ・マリア・コルベ神父のドキュメンタリー映像を思い出した。この映像の中で、生存した男性がキャンプ内でコルベ神父に会った時のことを語り、絶望して歩いていたところ、コルベ神父は、希望を持ちなさいと声をかけてくれた、そんなような内容だった。


ラストシーンはあまりにも冷徹にカメラは捉えている。非力で弱い存在でしかない。それでも、きっかけは何にしても、立ち向かう気概があるのなら、きっと良くなるだろう。


どんな場合であっても、コルベ神父の置かれた状況に比べれば希望は持ちやすい。晴れ間はなく、永遠に曇り空が続いて、泥沼のような道ばかりが衣服を汚しても、持てるものは持てる。瓶を壊し、それを詰めて、色々に回して見ることはできるのだ。頭が狂ったぐらいに世界を見れば、きっと綺麗に映るかもしれない。それが場違いだとしても。


暗く、単調で、退屈な映画ではなく、将来に開くための我慢をつぶらな瞳を通して教えてくれる作品だ。

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