9月28日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでルスダン・グルルジゼ監督の「他人の家」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでルスダン・グルルジゼ監督の「他人の家」を観る。


2016年 103分 カラー Blu-ray ジョージア語 日本語字幕


監督:ルスダン・グルルジゼ

原案:ダヴィト・チュビニシュヴィリ、ルスダン・グルルジゼ

脚本:ダヴィト・チュビニシュヴィリ

撮影:ゴルカ・ゴメス・アンドリュー

出演:ズラブ・マガラシュヴィリ、オルガ・ディホヴィチナヤ、イア・スヒタシュヴィリ、サロメ・デムリア、エカテリネ・ジャバリゼ


広島では約10日間だったグルジア映画祭も今日で最後の作品となり、文句無しに締めくくる素晴らしい内容だった。


エストニアとジョージアの合作映画で「みかんの丘」という作品があり、自分は観ていないのだが、話を聞いた印象は今日の映画を同じ地域だと思わせた。銃弾によりひびの入ったであろうフロントガラスの車が雨の中を走り、どこからか逃げてきたであろう家族が映し出される。車内の会話でモロッコとギリシャのみかんの皮の厚さについて話してから、この土地のみかんの良さを説明する。この時点ではその意味がさっぱりつかめないのだが、あとあとにその言葉の効果が色を添えてくる。


細部まで芸術としての映画の技法が敷き詰められていて、少しも見逃すことができず、傑作といわれる作品に共通する地球のような多様性が存在していて、遠くから見たら青い星であっても、細かいところを見ることができるようになるならば、世界地図としての地表を見つけて、大陸から国を見ることもできるだろう。そのように表面的にも優れた色合いと構図を持ちながら、各人物の存在する意味は印象的でありながら深い意味とつながりを持った寓意性を強く持っていて、どこがどうつながり、分散するのか、一見しただけではつかみ取りづらい。


一夜にして住民の消えた村の家を舞台に、そこに住まう逃げてきた人々の関わりが描かれる。作品名である「他人の家」に住むことは何を意味するのか。これは短絡的に結びつけた考えでも間違ってはいないだろう。なぜ人がいないのか、なぜ人がそこに住むのか、このアブハジアのみかんの木がなる空気のおいしい土地に。


2軒の家を舞台に交流する群像劇は、登場人物の存在感が一人たりとも疎かになっておらず、少し登場してちょっと幅を広げる程度などではおさまらず、渾身から生存している魂を持った人間達なのだ。編み目の大きなスカーフを被った母親は、失った自分の家の代わりとなる他人の家に住み、初めは悲観するも、自然と根を下ろしていく。みかんの木を世話して、枝を切り、石灰を幹に浴びせて、家も自分の好みに変えていく。ここで見逃せないのは、この女性はロシア語を母語としていることで、双眼鏡で覗いてばかりいる性の境界を超えた驚くべき美しい顔立ちの女性から、初めて観察された時にスラブという言葉を使われている。それは後半になり、夫婦の関係に亀裂が入っていることがあきらかにされてから、ベッドの上で娘を抱えてスカーフを初めてとった時に現れるブロンドの髪の毛が証明するようだ。スラブ人が生きるために他人の家を再利用して生活する、これをどのようにも見ることができる。


その夫はといえば、亡霊のようにふらふらして、やって来たばかりの梢に新芽が点描された季節から、青々と緑が茂る風景にあっても、心をどこかに置き去りにして体だけがやって来てしまったように生きている。夫の人種は判別できないが、移り住んだ家に全身を黒い衣服で身を固めたスカーフを巻く、モローの描くサッフォーのような女性が訪れるのを見て、それが現実か幻かはそれほど問題ではなく、その家の持ち主らしき人を見ることが夫の心を実体として表している。それゆえに、妻に向かって家にもともとある物を使うなと叱責するのだろうし、衝動的に家族を連れて去ったのだろう。


この二人だけでも優れた人物造型がなされていて、この夫婦の息子と娘も小さいながら大きな効果があり、もう一軒の家に住む姉と妹とその娘がさらに強烈な性格を有している。分析して、寓意を繋げようとすれば、ばらばらになりかねないほどに愛すべき立脚を見つけられる。連日映像でその美しい顔を見せてもらっているイア・スヒタシュヴィリさんの優れた演技力は言うまでもなく、この映画で最も魅力的だったのはサロメ・デムリアさんで、おでこに平行線の入った短髪は、究極のモデルらしき同一性の雰囲気を纏い、拳銃とライフルが格好良く似合い、終盤で口紅を塗ってから髪を横に流すシーンがあるのだが、それだけで驚くほど表面から受ける人間像は変化する。なによりも本名のサロメという名が、この役柄にぴたりと合っている。


霧がかった部屋の空気は、同じ構図で窓から光が当てられていて、本当は存在しない空間のようでもある。それはこの家の元々の家族の幻影を重ねているようでもある。鳥の群れは空を騒乱として鳴きながら飛び交う、夫の頭上を、兵士のような女性の上を、そのまま受け取って構わない象徴として。若い娘と年下の男は早々と恋をして、冷たい女と幽霊の男も同様だろうか。人の少ない、幽棲としたような山のようなところでも、男女の感情は生物の生存本能として芽生えてくるのだろう、それは様々に枝葉を伸ばして山の斜面に生えるみかんの木の生命力と同じように。


これでグルジア映画祭は終わってしまう。毎日夜の映像文化ライブラリーを出て、まず空を大きく見上げて呼吸をし、それからゆっくり歩いて自転車の鍵を解く。音楽はかけず、街の音と目が見る変わらないムービングの景色に映画を思い出しながら。


昼も映画の魔力に取り憑かれっぱなしの日々はまたいつか。この企画に携わった人々に本当に感謝したい。

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