9月7日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで豊田四郎監督の「駅前旅館」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで豊田四郎監督の「駅前旅館」を観る。


1958年(昭和33年) 東京映画 109分 カラー 35mm


監督:豊田四郎

原作:井伏鱒二

脚本:八住利雄

音楽:團伊玖磨

撮影:安本淳

出演:森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、淡島千景、淡路恵子、草笛光子、浪花千栄子


“番頭”なんて言葉は、落語の世界だけに存在するまるで実体のつかめない者であって、お殿様やお侍さんの方がテレビで見たことのある知った人達だ。


この映画で、初めて実在したであろう番頭さんを見た気がした。落語話が基になった作品でフランキー堺さんが居残りを演じていて、この作品では番頭ではなく、添乗員を演じていた。冒頭のクレジットタイトルで、フランキー堺さんと淡島千景さんの名前を見つけてしまい、この二人ばかりを追ってしまったので、番頭演じる森繁久彌さんの存在は薄く、どたばたと登場する人物達のなかに埋もれてしまっていた。


古くも面影のある上野駅前や、橋は細くも参道はそれらしさが残っている江ノ島の風景は懐かしいが、宿屋のある通りは上野のどこだろうか。鰻に焼鳥と、看板は筆の書体で書かれていて、とても風情がある。ここ数日観てきた映画同様に、女性の服装はハイウエストのスカートで、今の女性に見るファッションと似ている。男性の髪型や黒縁眼鏡もそう。今ではほとんどなく、古い映画作品だけに見られるのは、着物の女性と、衣服に見合った所作だ。


少し長ったらしく思えるショットが目立ち、その中に複数人がおさめられているので、一人、二人の人物に着目している間に、別の人物が細かい演技をしていて、画面のなかで視点は分散してしまう。それは舞台を観るようで、同時に全体を捉えることができればいいが、慣れていない人にとってオーケストラの中で一つの目立った音色だけ聞こえて、ホルンやヴィオラ、ファゴット等が耳に入りにくいように、多くを得ることはできずにいた。


騒がしい登場人物が次々に表れては、宿屋の生業に小話を与えていて、いつ切られても作品として成立するように思えてしまうほど物語はつかめていなかったが、途中から演技と構成の旨味が強くなったのか、それともそれらに気づくようになったのか、後半は科白の一つ一つのつながりが緊密になり、上野を舞台にした宿屋の世情に江戸の名残を見ることができた。淡島さんの着物姿の科に、羽織の袖を扱う森繁さんの仕草や、泥鰌を扱う伴淳三郎さんのそれらしい口振りと腕前に、宿を去る時の口上など、演技の一つ一つが古典芸能の息吹を持っていた。


後半からラストシーンに向かうまでは、淡島さんの登場が多く、嫌みのない小ざっぱりした色気ばかりに見とれていた。「あら生意気ね」、そんな台詞を一つ口にするのに、恋い慕う男への思いや、その男の浮気心に、相手の女性への嫉妬など、字面から受ける印象などよりもはるかに表情を持った言葉となり、かしげたくなる心があるのだ。


さわやかに一本道を追いかけるラストシーンがとても初々しかった。並んで道を塞ぐ馬車に、後ろで渋滞する自動車の構図は、ガラケーにスマホではないが、もう時代に必要なくなった腕利き番頭の矜持として、気持ちよく響くものがあった。

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