8月25日(日) 広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「山口啓介 後ろむきに前を歩く」を観る。

広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「山口啓介 後ろむきに前を歩く」を観る。


「世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画」の時もそうだったが、知らないからといって甘くみたり、軽んじてはいけない。これがコンサートや劇となると、知らないからこそ初期をもって会場へ足へ運ぶのに、美術館の特別展となると、外国人の芸術家ならば期待するが、日本人となると興味と意欲は削がれてしまう。年間パスポートを持っているから、支払った分を取り戻す為に足を運んでいるようなものだ。


だが、それでいいのだろう。どんな理由にせよ、先入観にせよ、実際に観る行為をしている。それで見応えのある作品に出会っているのなら、間違いではない。


存命であり、まだ60歳に届かない山口啓介さんの個展が行われるのだから、それ相応の物があるのだ。入場口すぐに展示されている「Calder Hall Ship Project」をまず観た。よくわからずに眺めていると、アクリル板らしき横長い水槽の中に銅で作られた喫水線の長そうな船は、上甲板に原子炉を想起させる塔のような物が5機あり、水槽は5本のチューブでつながれて外のガラスシリンダーにつながり、何か原生植物か、綿毛らしいものが保存されているアクリルのケースがそばにある。やはりよくわからず、作品リストをざっと見て、このような作品ばかりなのかと思ったら、そうではなかった。


初めの展示室にはエッチングの大型作品が多かった。楳図かずおさんの「漂流教室」を思い出させる線の多い不気味と不安な渦があり、ユートピアらしい方舟は頑健に封鎖されていて、未来が見えなかった。核シェルターのようでもあり、放射能という胞子を飛散させる巨大な装置のようで、抹香鯨のような船に生えたキノコは原子爆弾の雲だった。格子状の筋から液体の流れる王の方舟は、民衆が中で絞られて、血が垂れ流されているようだった。ここの展示室で、入り口にあった作品の船と管がなんとなくわかる気になれた。


次の展示室では作風が変わり、色が広がる。蘭のプリントされた画布に黒い顔料が流れてにじみ、その模様は蝶の幼虫のようでありながら、なぶり殺された蝶の残骸のようでもあり、紫など蘭の花らしい色彩は広がって多義的に思える。この展示室も大型作品が多く、この作風の変化事態が幼虫から成虫への変態や、一日で姿を大きく変える開花のような移り身を感じるも、蓮の穴のような黒い粒々や、蜂の巣、渦などからは、エッチング作品に潜んでいた要素がただ表れただけなのだと知れて、突如とした様相の変化ではなく、作風の進化であって、ふと、船や原生的な形態に、フンデルトヴァッサーが見えてきた。


階段を降りる前の廊下に、版画集「イタリア紀行」があり、短くない文章が書かれていて、読んでみると、見事な文体でピサのカンポ・サントについての感想が書かれていた。これがジョン・ラスキンに多大な影響を与えた作品だとあとあとに気づいた発見と驚きがより伝わり、絵だけでなく、文章も上手なのだと思っていたら、廊下の続きに、横光利一や久保田万太郎、大江健三郎などの小説本に絵の描かれた作品があり、小さい頃から親しんだことを知ってうなずけた。


大きい展示室に入ると、さらに大型の作品が広がっていた。2017ー2018年の作品はそれほどの好みではなかったが、2014ー2015の二つの作品「原-ききとり 海を渡る星図1」と「海を渡る星図2」がとても良かった。その理由が、フンデルトヴァッサーらしい作風だったというのも一つだが、大きな画面の中の彩度と明度の高い黄、黄緑、紫や、ピンク、灰色が調和していて、原生的な生命の、輝かしい美しさを感じた。


その部屋には様々な花や葉を閉じこめたカセットケースの積み重ねて作られた「光の樹/粒子と稜線」という作品があり、斜めに封じられた羊歯植物の葉や、単葉、一輪、五弁の花などが、立体的な標本として飾られていて、これは実に見事で、一つ一つのカセットケースには生命の美しい形態が、残酷ながら、様々な可愛らしい表情を見せていた。


最後の展示室には、エッチングの版画集や、アクリルに水彩などの作品が飾られていて、好ましく思えたのが「方舟光の樹」の3作品で、区画されたテキスタイルには黒い点があり、細胞と遺伝子を感じさせながら、白地に水色模様の方舟が、ナメクジのように流動的に動いているのが、絵本のようでありながら、とても原生的な変化を感じるも、単に緑が綺麗だった。


そして物凄いのが、東日本大震災の起きた3日後から1日も欠かさずに書き続けている日記で、ノートに書かれた内容は、紙面一杯に埋まった文章に、見事な絵、それに細密に書かれた学術的な内容など、このノートには執念というか、恐れ入るほどの力がほとばしっていた。


知らないということを前向きにとらえる習慣が必要だと思った。偏見にとらわれず、それが壊された時の爽快さを想像して、行動する必要がある。山口啓介さんの技量と作風の変化は大きな芸術家の力を感じた。こういう日本人や、海外の芸術家を自分が知らないだけであって、大勢いるのだろう。とても刺激のある特別展だった。

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