8月24日(金) 広島市中区基町にあるひろしま美術館で「ポーラ美術館×ひろしま美術館 共同企画『印象派、記憶への旅』」を観る。

広島市中区基町にあるひろしま美術館で「ポーラ美術館×ひろしま美術館 共同企画『印象派、記憶への旅』」を観る。


印象派を中心としたこの特別展は70数点の作品が展示されていて、ポーラ美術館とひろしま美術館の所蔵だけで構成されている。2つの美術館はまるで兄弟のように互いの作品を対照させていて、違和感なく混じり合い、うまく調和している。


Ⅰ 世界のひろがり ──好奇心とノスタルジー──


ひろしま美術館の所蔵品は普段も観ることができるので、ポーラ美術館の作品を中心に観る。アドルフ=ジョゼフ=トマ・モンティセリの「人物」が目に止まり、この厚塗りの画家の名を初めて観た気がした。ドラクロワとルノワールのアラブ人の絵を両隣に飾られたこの作品は緑、赤、黄の各色が人物の服飾を彩り、白人女性の肌と性別の見分けにくい黒人の顔が画面の中心を区切って配置されている。女性の頭にかぶる緑からモローを、厚塗りからルオーを感じ、やけに艶かしい雰囲気があり、シーシャを吸う黒人の姿から悦楽な印象がより強まる。


ゴッホへの対応が嫌いだったゴーガンという画家は、今ではゴッホとは別に好きな画家の一人となり、「小屋の前の犬、タヒチ」の色と形に素朴で爽やかな情感が起こされる。実際にタヒチへは行ったことはないが、東南アジアや他の熱帯の国々で感じるのは、この絵よりももっと繁雑な植物に取り囲まれる環境であり、温度と湿気はよりうるさく思えるが、この絵の風と時間の流れはたしかにあり、斜めに並ぶ赤い家のリズムが示すとおり、とてもゆったりしている。素敵な作品だ。


Ⅱ 都市への視線 ──パノラマとポートレート──


聞き覚えのない名のアンリ・ジャン・ギヨーム・マルタンの「雪のパリ」が目にとまった。小高いところから街を見下ろす風景は、塗りの厚い屋根と空の雪が重たい質感を持って浮かびあがり、街を静寂に沈めている。


ロートレックも、ルドンやヴュイヤールのように偏重する好みで作品を観てしまい、どんな作品にでも集中力が増す。狡猾さが突き出たような鼻と顎の男に、貧相な顔した女性が立ち、実生活そのものがモリエールのようなカリカチュアだと笑わんばかりの寂しさが、自分をこの画家へと惹きつける。


ロートレックに続くピカソの「通りの光景」は、黒い山高帽を被る男に焦点が合わさり、後景はぼやけており、黒い裾広のスカートをはく女性の羽織る赤が侘しさを象徴するように描かれ、手押し車に載るコートジボワールの国旗を思い出させる黄、白、緑の食材が、暗い画面の中で呼応している。遠近感がとても味わい深い。さらにピカソの「坐る女」は、パステルと厚紙ながら、一見して油彩と勘違いしたが、左腕を椅子の背にかけて座り、思いきり前屈みに視線を遠くに向ける女性の、顎にかける手と、上半身の黄緑に白、オレンジのひっかかれた筆跡は、リアリズムという言葉を思い起こさせるドラマがある。目は何を見ようとしているのだろうか。


Ⅲ 風景のなかのかたち ──空間と反映──


色々あるモネの中でも、太陽を描いた作品に惹かれる。昨年の「ブリジストン美術館展」でも、太陽に焼けるヴェネチアの海があり、それよりもずっと優しいが、太陽が放つ色のスペクタルを「セーヌ河の日没、冬」は持っている。河面に白い氷は冷たくたたずみ、色は微細に変化して、遠くに卵の黄身の太陽が浮かぶ。


Ⅳ 風景をみたす光 ──色彩と詩情──


モネの「散歩」にはっとさせられる。斜めに日傘をさす女性が正面を向き、問いかけるようだ。思い出か、現実か、天国のような自然美にあふれる景色のなかで、特別であろう女性は迎えに来たようだ。この絵を前に、視線は前へ前へとスクロールして、風が吹き抜けるのを寂しく、懐かしく感じる。


モネは時を感じさせる。「ジヴェルニーの積みわら」は、画集で観るとそれほど気にならないが、実際に前にすると、瞬間が見事に描かれている。それは普通に生きている凡人にも感じられるように、画家が細部まで一瞬を切り取って、少しだけわかりやすく部分部分を誇張して見せてくれている。


あまり印象に残らないカミーユ・ピサロだが、筆触分割で描かれた「エラニーの花咲く梨の木、朝」は、他の点描画家よりも自然に近い形で写し取られていて、点描は小さく、純色と純色の間に余裕があり、それがみずみずしい大気の中の風景を好ましく描き出している。


Ⅴ 記憶への旅 ──ゴッホ、セザンヌ、マティス──


ゴッホの「アザミの花」はひまわりのような構図だが、色はゴッホらしい白に近い黄緑色に塗られていて、エメラルド色のバターに引き寄せられる。黄色と異なって、この色はやや陰鬱かもしれないが、しとやかさがある。優しさがある。


マティスの「襟巻の女」はとても洒落た絵で、「室内:二人の音楽家」のほうが古い題材だった。赤い背景にアーチ型と模様がアラベスクな印象で描かれる前に、宮廷のドレスらしいテントのようなスカートの大きさが、オレンジ、黄緑とあり、続いてテーブルクロスの水色へとリズムを作る。女性の表情もぼやっとしていてマティスらしい。


そしてセザンヌの「プロヴァンスの風景」は、赤い屋根に肌色の家を後景に、緑の木々がうごめいている。これは力強くうごめいている。色彩が命を持って、威力を発揮し続けている。


展示作品の関連付けがわかりやすく、ピカソの青の時代や、モネの似た画風の作品が並べられたりと、比べる楽しみもあり、二つの美術館の持ち味が拮抗した実力で組み合わさっていた。こう観ると、ひろしま美術館の所蔵品はさすがだと思わせられて、同様のことをポーラ美術館にも覚えた。


とびきりの大作があるわけではないが、印象派にまつわる特別展として、とても粒ぞろいなので、「また印象派か」と思わずに、素直に作品を楽しめた。ロマン派音楽のように、誰からも親しまれる質の良さを感じとれる。

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