8月12日(月) 豊田市小坂本本町にある豊田市美術館で「常設展」を観る。

豊田市小坂本本町にある豊田市美術館で「常設展」を観る。


気早な性格ではあるが、夜行バスが早朝に名古屋へ着いたので、大都市らしい地下道と地下鉄の景色を懐かしみながら歩いて、迷い、入り口を間違えて駅員さんにキャンセル処理をしてもらってから名鉄に乗り、ラグビーワールドカップの広告がにぎわう豊田駅に着く。朝マックをしてから、開館1時間前に豊田市美術館へ来ると、すでに20人近く並んでいる。


開館30分前には100人以上が集まっている。並ぶなど考えもしなかったので、こんなにせっかちな人々がいることに驚くも、早く着いてしまって、ほっとした。


開館前には多く見積もって1000人は並んでいて、並ぶ場所は2つあり、すでにチケットを持っている人と、これから買う人だ。持っている人はクリムト展に直結したところでタピオカ屋が霞むほど並び、もしかしたらチケットを購入したあとは、この呆れかえる行列の後ろにつかなければならないのだろうか。


その懸念は見事に当たった。しかしチケット売場のお姉さんは機転の利く人で、「クリムト展に並ばれるより、先に常設展か、あいちトリエンナーレの展示を観たほうが空いていますよ」と鶴の一声があったので、長い列の横を過ぎて上階へ行くと、とても空いている。トリエンナーレを観ようと受付の人にチケットを渡し、「常設展はあちらになりますので」と言われて顔を向けると、向こうの部屋に、はっきりと、宝の飾られているのが目に入り、目玉を引っこ抜かれた。シーレの油彩画がある。この美術館は作品を所蔵しているとネットで知っていたが、あんな千人交響曲でも歌えそうな人々が嘘のように、作品は誰にも見向きもされずに飾られている。


トリエンナーレはやめて、常設展に急いで入る。油彩の「カール・グリュンヴァルトの肖像」が目の前にいる。嘘みたいだ。チケットを購入する時に写真撮影を尋ねたら、クリムト展以外は可能と言っていたので、近くに立つ学芸員に再確認すると、やはり撮ってもよいらしい。


今回の旅行の目的は達せられたと言っても、大袈裟ではない。涙が出そうだった。シェーンベルクの弦楽版の「浄夜」を流して、展示されているシーレの絵をすべて撮影してから、じっくり鑑賞する。油彩よりも、鉛筆、水彩、クレヨンやグワッシュのほうがシーレらしい線と色の技量をより味わえると思っていたが、この油彩画は相当に素晴らしい。これは好きな物への偏執極まる贔屓目ではあるが、あばたもえくぼ、目に入れても痛くない、そんな状態ならば、良作は最上作品に映る。


「カール・グリュンヴァルトの肖像」は、顔が細かく描かれていて、他は厚塗りされている。そのせいか、目つきの鋭さが単一ではなく、時間の経過を感じるような、いわば常に変化し続ける生きた絵としての質感を持ち、斜めに上目で見つめるその顔は、目だけで不敵さを表していて、相手のことなど何もかまいやしないというようなふてぶてしさがあり、それが口にも伝わり、なんとも傲岸でいて、ダンディな表情となっている。


そのかわりに、細密には描かれていない体は、ややなで肩に見える構図となり、肘を張って手を組んでいるものの、それは猜疑心や緊張を持った防御としての組み方に見えて、青で襞を作られた白いシャツから出た手は、偏執を持つシーレらしく、細く、節のある、痩せ細った神経の詰まる芸術家らしさがあり、その肌の色は様々な色が分厚く混沌としていて、顔の次に目を引く力を持っている。


1点だけでも満足なのに、その隣に飾られている晩年の作品はクレヨンと紙で描かれていて「座る少女:シュテファニー・グリュンヴァルト」とある。これに興奮はとまらなかった。晩年の素描が特に美しく、母親や、死ぬ間際のエディット・シーレの素描などはマーラーの交響曲に感じる死を前にした優しい、あきらめの、えもいわれぬ悲しさが線に表れていて、この作品も、目鼻は線がいくつか使われているが、あとの輪郭は、すでにある線をなぞっただけのようでいながら、この他は絶対にないところを通っている。広島にあればいいのに……、豊田がうらやましい。シーレの大好きな美点が、すべてに、無駄なく絵となっている。


他は、リトグラフと紙の「男性自画像」、「少女」、ドライポイントと紙の「しゃがむ女」があった。シーレならば何でも好き、と思っていたが、最初の2点に比べてしまうと、好みの優劣はあるのだと当然のことを知った。


作品数は少ない常設展だったが、ココシュカ、ダリ、タンギー、ミロ、ブランクーシもあり、色の暗いミロの油彩画は珍しく思えた。


ここだけで30分以上を過ごす。もういいやと思うも、まだシーレの作品はあるから、トリエンナーレの作品を観てからの楽しみにしようと、強い心残りと一緒に部屋を出た。

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