8月4日(日) 広島市中区大手町にある広島県民文化センターホールで「第19回 レクイエム イン ヒロシマ」を聴く。

広島市中区大手町にある広島県民文化センターホールで「第19回 レクイエム イン ヒロシマ」を聴く。


指揮:齊城英樹

管弦楽:広島センチュリー管弦楽団

ピアノ:大坪加奈

ソプラノ:加島裕美

バリトン:折河宏治

合唱:レクイエム合唱団


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調

ブラームス:ドイツ・レクイエム


すでに第19回目と、昭和62年に設立された「レクイエム イン ヒロシマ実行委員会」の存在に、広島に来た年数の少なさをまたしても実感させられた。


今日の午前中に見た朗読劇にしても、広島映像文化ライブラリーの活動にしても、原爆という人類による災いを忘れずに、どんな形でも平和の為に取り組んでいる人々が多いことに、頭は下がるばかりだ。


今日の前半のモーツァルトは、睡魔の時間にあたり、余分な装飾を省いたというよりも、感受性の乏しい時にあった自分にとっては、あまりにあっさりしすぎて、弦の響き、木管楽器の音色に細かさが見えず、一本調子に聴こえてしまい、ピアノの大坪さんの演奏も、丁寧で綺麗な音色で、モーツァルトらしい純然とした音の粒があるも、眠気の膜で覆われた自分には心地良くなってしまい、力ある、強い芯でもって響かず、第3楽章までは夢現のまま聴いていた。


このコンサートに来た目的の後半のブラームスのレクイエムは、第1曲では弦の動きが少なく、眠気が残っているのか、合唱に慣れていないからか、淀みない一団としてパートごとの歌声が聴こえず、あまり集中できずにいたが、第2曲から俄然集中力が増してオーケストラと合唱が一体となり、合唱曲特有の巨大な音の迫力が発揮されてホールを支配した。「集中できずにいたのは、このホールの音響のせいだろうか、神楽と落語を観に来たことはあるが、音楽だけを聴くの初めてだから」こんな疑念を忘れさせた。第3曲になると、バリトンの折河さんの野太い声によって厳かに歌われて、真っ正面から音の生み出す効果に浸された。この暗く、無常を嘆き、鬱々とした音楽が合唱と共に歌われて、もはや、この日のコンサートは満足に達したと、あとはどんな演奏であってもかまわない気にさせた。モーツァルトでは物足りなく思っていたオーケストラの音色も、弦は格段に統一されて締まり、ニュアンスの少ないと思われた管楽器もかえってそれが良く聴こえた。ホルンとトロンボーンも効果的に吹かれていて、特にクラリネットの低音部と、オーボエが印象に残った。また、抑制されたティンパニーもよかった。


終わってみれば、合唱もオーケストラも一体となった熱意あるレクイエムだった。宗教心を感じる数学的な音の進行に、何度も宇宙的な神秘の美しさを感じさせられたフーガに、求めていた心は満たされた。


さあこれで、聴いて、満足して、終わり、では感謝が足りないので、今日の午前中同様に、関係者皆さんの努力と思いに対して、観衆ができる最も簡単な表現として、相手に届くように拍手を打ち鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る