8月4日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ1階市民ギャラリーで「2019朗読劇 ヒロシマの孫たち」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ1階市民ギャラリーで「2019朗読劇 ヒロシマの孫たち」を観る。


脚本:瀬戸山美咲(ミナモザ主宰)

演出:宮地綾、喜多村千尋

美術:ウエダサユリ(unima design室)

音響・照明:池田典弘


2014年からのプロジェクトで、昨年で一区切りついた伝承演劇「ヒロシマの孫たち」が、今年は朗読劇という新たな形で上演されるというので観に行った。


前回は舞台を長い中央として、その両脇に観客席があり、パペットを使用した身体表現としての演劇だったが、今回の舞台は、白と黒の長さの異なるパネルを配置して、薄い幕を垂らした背景に、黒い床に背もたれのない椅子が7脚あり、まだらに染色された水色と、アクションペインティングのように緑、茶、赤色などが飛び散らされた長い綿布が、それらの椅子を覆っていた。観客席は舞台の真正面だった。


出演者は10名で、前にも出演していた男の子と女の子の登場に記憶がにわかに喚起されて、今回は出ていない男の子が思い出された。はきはきした朗読が始まり、音声で語り部の話が流れると、昨年の舞台の物語が違った形でなぞられるようだった。


今年の6月に東区民文化センターで観た五色劇場の「新平和」のように、初めて接する作品ではなく、一度経験した内容との再会として、新鮮な体験として伝わってくるというよりも、一度描き出されたが時間の経過により色と形のかすんでしまった絵に、再び線を入れて色づけされるような観劇となった。


そのせいか、前回とは異なり、語り部の切り替わる場面転換が明瞭にわかった。それは身体表現を抑えた朗読劇という演出形式により、観る側は内容をそれほど把握せずに演技の進んでいくままを体感するよりも、あくまで言葉に重きを置いた劇の進行が節をつけやすくしているのかもしれない。


母は汚れた姿に見分けがつかなかった、天皇陛下の次は軍人が偉かった、がれきから足を何とかして抜いた、クラス写真は半分ほどの人数になってしまった、血だらけになった母を置いて父は手伝いに行っていた、等々の話が、自分の中ですでにおぼろげになっていた語り部の体験を、前回の記憶を踏まえて違った印象として盛りあがった。


声をかぶせたり、台詞をバトンとして繋いだり、前回よりも動きの省かれた朗読劇ならではの演出効果は伝わりやすく、オーケストラのようで、特にうめき声の発生には思わずぞっとしてしまった。それに加えて、移動する朗読者の効果もあり、素早く動いて椅子に座るだけで、場面が瞬時に切り替わったことを的確に示していた。


朗読劇にどこまで動きの演出を加えるか、また朗読者の声の抑揚をどうするかなどを考えてしまったのは、演劇経験者の朗読は表情が豊かで、声音と抑揚に強い情感があり、そこに情景を浮かばせる力があった。別の出演者は表情や声の調子に淡々とした雰囲気もあったので、それは個人の裁量に任せているのかと、つい想像を巡らせてしまった。


ここ数日は原爆や戦争にまつわる映画を数本観ていて、また先々月の五色劇場の「新平和」を観て思ったことだが、こういう悲惨な事実に基づいた作品となると、その出来上りの質は大切なことではなく、伝えようとするメッセージを読み、考えることだと繰り返し思い知らされる。


今回の朗読劇で初めて「ヒロシマの孫たち」を知った人はどのような感想を持つだろうか。具体的な語り部の声に、死ぬことがよくわかっていなかったと笑う声に、未来をたくましく生きる意志を伝える声に、おそらく強い印象を持つことだろう。作品としては2度目で、原爆に関する事は少なからず知った今の自分としては、今までに見聞きした原爆にまつわる話や映像が、まるでシナプスのように神経をつなげて相関しているのを感じる。川の話が出れば、川底に沈んだ数多の浮かばれない魂に、黒く膨らんで浮かぶ死体、各時代によって異なる川面の灯籠、潮の満ち引き、「はだしのゲン」の酷たらしい絵などが飛び交い、次々と建てられていくバラック小屋の生命力ある話には、昨日に観た映画での川辺の家並みと人々に、それらが消えてそびえ立つ基町の高層アパートが遠くに浮かぶ。


実際に関わっていない外野の自分でも、ラジオで語り部の高齢化を聞き、伝えていくことについて考えさせられる時がある。発信する側ではない自分にどうこう言う説得力はないが、今日の朗読劇を観て思ったことは、原爆にまつわるそれぞれの作品だけでも力はあるが、ホロコーストにまつわる作品が毎年生まれては、異なった視点でもって訴え、歴史の教科書の1ページだけに葬りさらせない執念を持つように、原爆に関連する作品のそれぞれの集積こそが、記憶ではなく、大きな想像力を働かせる大切な役割を果たしているように思えた。


どんな物事にもいえる大切な基本の姿勢としての、継続と連関、それが今もこの広島で地道に行われていると、今日の朗読劇での心象風景で物語られていたと、自分の頭の中に溜まったものが説明していた。そして、昨年とは異なり、小さい男の子1人が背の高い出演者に混じって今年も参加していて、帰り際の自分にしっかり挨拶していたことが、確かな継続の象徴として立派に映った。

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