6月2日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ中ホール能舞台で「浅野氏広島入城400年記念 喜多流 広島蝋燭薪能」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ中ホール能舞台で「浅野氏広島入城400年記念 喜多流 広島蝋燭薪能」を観る。


番組

月宮殿

ツレ:栗谷浩之

ツレ:栗谷充雄

シテ:出雲康雅

ワキ:大日方寛

ワキツレ:御厨誠吾

アイ:野村裕基


狂言

痩松

シテ:野村萬斎

アド:野村裕基


小鍛冶

シテ:中村邦生

ワキ:大日方寛

ワキツレ:御厨誠吾

アイ:石田淡朗


一昨日は50%くらい、昨日は20%くらい、今日も20%くらい、スポーツと違って衣装が濡れたりしてはいけないので、今年の広島護国神社での薪能はアステールプラザの能舞台で演じられることになった。


去年は火の粉と紛う蛍の光を見つけて(本当にそれらしいのを見たが、季節を考えると少し早く、見間違いの可能性もあるが……)、仕事後の眠気を耐えるのに必死に、遠くの舞台を寒さに震えながら眺めていた。けれどああいう場所での舞台は本当に良いものだと実感したので、今年も真っ先にチケットを購入した。安くはないので安い席を、謡は遠くても聴こえるのでそれを主に味わう目的で。


もちろん野外での舞台を観たかったが、仮に雨が降ってもそれほど悪くはない。なぜならアステールプラザの能舞台になると、2階の最後方の席だとしても、舞台がよく見えるのだ。おかげで、今日は斜めに、表情は細かく見えなくても(能面の表情も)、舞台全体を味わうことができた。日曜日だから仕事もなく、たっぷり昼寝をしたので、あの雰囲気に飲み込まれることもなかった。


月宮殿は、囃子方に違和感を覚えた。ユーチューブで能を垂れ流すことがあったので、動きは見ていなくても囃子は耳に少しだけ慣れていたので、笛の音が響かずに少し抜けたように聴こえ、小鼓は小気味の良い通り抜ける音ではなくすぐに壁にぶつかるようでムラがあった。座る席がそのように聴こえさせるのだろうか。謡もそれほど揃って迫ってくるようには聴こえず、舞も完全に溶け込んだような無駄のない流れではなく、ところどころ小さなほつれのようなひっかかりがあるように感じた。


一体何様のつもりなのだろうかと、自分を疑って観ていた。それでも、能面の鶴と亀が舞い、脇に座り、新春を言祝ぐ舞の舞台は見ごたえがあった。玄妙な磁場が醸された舞台はあまり感じられなくても、能の舞台を生で観れる喜びはあった。


痩松は、さすがの野村萬斎さんだ、声が違う、動きが違う、物が違う。息子さんとの舞台は、削り落とされて丸くなり、大きく、おおらかで、伝統と歴史を透かす。昔から人々はこうして狂言を観て楽しんだと、舞台上で想起させられる。この舞台を観たあとで、先程の月宮殿がよりみえてくる。


小鍛冶は、月宮殿よりも物語のある曲なので、囃子と謡の展開はより緊密に組合わさり、ちょっとした間もより効果を感じる。能面をつけるシテの童子の動きも荒さは見られず、軽さがある。ワキの宗近の謡も深みと幅の広さがある。アイの石田淡朗さんの語リが非常に上手く、後半へのつなぎとして独特な場面を演じている。特殊演出の「白頭」に「狐足」とあり、白髪の稲荷明神は摺足ではなく、足を素早くあげておろす動作で、動的な動きがとても目立ち、舞台上に緊張のある躍動感が生まれていて、現れるまでの激しい囃子と謡の調子はそのままつながり、刀を鍛えるところまで熱気に包まれている。これは目をひく、楽しみやすい舞台だ。


特別な舞台で観ることは出来なかったが、能楽に興味を持ってからわからずに観てきた自分に、それなりの観賞眼らしきものが生まれているのを発見できた舞台だった。

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