4月29日(月) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイエジー・スコリモフスキ監督の「ザ・シャウト」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイエジー・スコリモフスキ監督の「ザ・シャウト」を観る。


1978年 イギリス 87分 カラー 日本語字幕 デジタル


監督:イエジー・スコリモフスキ

出演:アラン・ベイツ、スザンナ・ヨーク、ジョン・ハート、ロバート・スティーヴンス、ティム・カリー


「ポーランド映画祭」なのに、制作はイギリスで、話される言語は英語の、舞台はイギリス北部らしいこの作品は、監督はポーランド人だ。上映後に調べたら、亡命を余儀なくされたとのこと。


内容は、間違いなくこの先に映画の話をする機会があったら、タルコフスキーやパラジャーノフ、アンジェイ・ワイダのように一人の個性的な映画監督として名前を出す……、と鵜呑みするほどの経歴がウィキペディアにあった。ただ、それらが裏付けされるように、この作品は名前の通り、強烈なものだった。


冒頭からのカットの構成は、順繰りな物語へと繋がず、あとあとにその意味が回帰するように配置されているようだ。しかし最後の画面でその意味が納得させられるようでいて、発端に対しての分岐点で、そもそも分かれ道を間違えていたのではないかと疑わせるものとなっている。


そのサンドイッチのようなカットの間に挟まれている映像の構成は、無駄がなく、極度にスリリングで、ホラーか、ミステリーか、カルトか、枠組みはなんでもいいが、寒気と怖気がやまない。アラン・ベイツが、悪魔の一種類の好例のような不気味で不可解な存在を堂々と演じていて、久しぶりに見ていて憎たらしい気持ちになった。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に登場するスメルジャコフほどまではいかないが、細く長い手足にイギリスの人にみられる光の反射する海辺の洞穴のような碧い虹彩のスザンナ・ヨークと、これまた細長い手足に余計な肉の削がれて高低のバランスのよい鼻立ちのジョン・ハートの、若い夫妻の関係を壊していくのが観ていてたまらなかったからだ。


あまり感情移入することはないが、この映画はどうも登場人物に対しての好みがそうさせていた。アラン・ベイツの語る信じがたく、気味の悪いオーストラリアでのアボリジニーとの体験が次々と実体として現れて裏付けされていく。映像は緑が美しいイギリスの北部西岸らしい荒涼の手前にとどまるみずみずしさと静けさと、風が吹いて砂を巻き上げる雑草の生える砂丘があり、ロングショットによる角度のある大地の構図と、海岸に広がる洗濯板の岩礁や、果てしなく広がる砂浜などは、ロシアの映画監督が扱いそうな自然として使われ、イエジー・スコリモフスキ監督もポーランド出身だから、スラブ系特有の美の感覚なのかと思ってしまう。


そんな自然風景の美しさが、プリミティブな宗教観から生まれたであろう現代人にはおかしいと思われる慣習による魔術の効果を盛り上げるようで、遠くからの猫の声など、大きな交響曲の中では聴こえづらいが、スコアからその存在を発見し、耳をすませば、その聴こえていなかった楽器の音色が表現を形作る要素として必須の存在であるように、空想か現実か、マジックかペテンか判然しない、けたたましい正気のなかの狂気としての映画の雰囲気を、隠れて生み出しているのだろう。


映画を観ながら、「スタフ王の野蛮な狩り」がもう一度観たいと思っていた。あの幻想的な雰囲気が、自分を囲っているのだ。おそらく、自分はカルト映画が好きなのだろう。このマンドラゴラのように、耳と一緒に目も、魂も潰れる叫びの映画に、自分の嗜好を突きつけられ、明日、午後の代休を取って映画を観に行く予定を立てたのが間違いではないだろうと着をつける。


明日も、イエジー・スコリモフスキ監督の映画だ。

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