4月28日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイエジー・アントチャック監督の「夜と昼」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでイエジー・アントチャック監督の「夜と昼」を観る。


1975年 ポーランド 170分 カラー 日本語字幕 デジタル・リマスター版


監督:イエジー・アントチャック

出演:ヤビドガ・バランスカ、イェルゼイ・ビンテーキ、バルバラ・ルトビザンカ、イェルゼイ・カマス


映画を観に行く前に、あらすじは読まないが、上映時間は必ず確認する。尺の長さにある程度覚悟を決めて、水分摂取の量を計算する。やや面倒なことかもしれないが、途中でトイレに行きたくならないように、長距離バスに乗るのと同じ準備が必要となる。100分くらいなら、気は楽だが、170分となると、やや重たくなる。


上映時間の長さが必ず作品の趣を知らせてくれるわけではないが、霧の遠くに教会の尖塔がぼやけるロングショットから始まり、泥だらけの田舎道を古い小さな馬車がのろのろと走り、そこに身なりの整った古い貴族らしい初老の女性が乗っていて、呆然とした神経質な表情がクローズアップで映されると、家族の写真について想いを巡らし、炎が揺れる回想のカットが入ると、「これは上映時間の語る通り巨大な物語になりそうだ」と予感させられる。


原作がマリア・ドンブロフスカの全4巻からなる長編小説らしく、萎んでいく由緒ある一家が描かれると、トルストイの小説を第一に下敷きとさせられる。それが農地に対して並々ならぬ愛着を持つムソルグスキーのような風貌の男と、ヒステリックが顕著な特徴として内外面に煩悶する女との夫婦が軸になると、ロシアの農奴解放の話が盛り込まれたトルストイの印象が厚みを増す。すると冒頭に挟まれる第一次世界大戦勃発による民衆の避難によるカットの編集は、ナポレオン戦争による避難民に見えてくる。


小説や絵画で得た印象が実写かされたような映像が多い。特に結婚するまでの前半は様々なクラシック音楽が次々と流れて若い時の回想が輝かしく溢れ出していて、印象派の絵画に観かける風船のように裾の膨らんだ衣装と小さな日傘の女性が何人も現れて、その一団の中で白い正装のハット姿の男が、汚れるのを構わずに池に踏み入り、白い睡蓮の花を手にとって束にしていく映像は、この映画の根幹を成す一つのモチーフとして同じ音楽を伴ってたびたび現れる。一つ一つのカットは舞台も演出も念入りに作られているが、リズムが早く、のんびりと一場面を眺めている余裕はない。まるで三国志のような大きな時代の流れを、矢継ぎ早にして、どうにか説明するような密度があるので、落ち着くことはない。ふとすると、物語の時間はすぐに過ぎてしまう。170分という観衆にとっては遅い体感のなかで、人生の短さを映像が無常に走らせてしまうように。そうでありながら、やや野暮ったいと思われる同じカットの繰り返しが挟まれて、あっという間に過ぎてしまう命のなかで、そんな無駄とも思われる暇があるのかと疑問でつつきたくなるが、それは、理性なく追憶するしつこい恋慕の表しで、それが夫婦の中年時代の不和な家庭環境の根本たる要因として、記憶に根深く張っていると気づかせてくれる。


題名の「夜と昼」が何を意味するのか。一個の同じ人間でも、まったく違った存在になることも意味しているだろうか。ただ、映画を観ていると、時代に翻弄される家族や個人の描かれた作品に触れると必ず覚える感慨により、あくまで瞬間でしかないと人生は知れる。その瞬間がいつまでも続くように思えるが、ふと、イプセンの「人形の家」の劇を観た時の台詞にあった、「好きな人と、一緒にいたい人は別」という言葉が示されたようなこの映画の中年時代の不仲が、晩年になっていくと、あれほど疎ましく思っていた夫に対して、「私達も、人生の日曜日にさしかかってきたわね」というような言葉をこぼしたり、死別したあとに、夫が精魂こめて開墾し、悲しいほど愛着を持っていた土地のことを考えたりと、まるで夫の霊が宿っているかのような台詞を妻はつぶやく。それが夫婦なのだ。


合わないから離婚する。それは一つの解決だが、合わなくても一緒に過ごしていくうちに、気づけば合ってしまっているような夫婦関係があり、それは二つの生命の不抜な努力の賜物による、味わい深い人生の、いくらでも存在する庶民の見逃させない作品としてこちらを感銘させる。心の底に過去を切れずにいる恋心があり、現実としての不倫があるにしても、夫婦関係は大きな椀のなかの、若い時に読んだ村上龍の小説題名のような、味噌汁のように混濁した見た目と味わいの中で出来上がっているのだろう。よほどまずい食材でなければ、何でも飲み込んで料理にしてしまうように。


大きい物語が描かれた映画は、常に集中して画面を追うことなく、時にはぼうっとしたまま観ている。それは自分にとって正しい観賞態度で、短く長い人生、時には一つに目を奪われることなく、山の上から景色を俯瞰するように、全体を観て大きさの中に溶けこむ。バスや列車のように、早い速度で窓からの景色は移り変わるとしても、近ければ木々の緑は輝いたまま影と共に疾うと過ぎ、遠くに海に落ちる崖が見えたら、ゆっくりとカメラはムービングする。


運良く長生きできるか知らないが、翻弄されてこそ人生だと、心底で泰然とさせてくれる映画だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る