4月6日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで市川崑監督の「プーサン」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで市川崑監督の「プーサン」を観る。


1953年(昭和28年) 東宝 97分 白黒 35mm


監督:市川崑

出演:伊藤雄之助、越路吹雪、八千草薫、藤原釜足


先月の鈴木清順監督の「関東無宿」で、反射を利用して花札でイカサマをする伊藤雄之助の、皺の刻まれた面長の顔に只者ではない様相を観て、一度でこの役者を覚えてしまった。


第一印象の強さで役者そのものを規定しまいがちだが、今日の映画の伊藤雄之助の姿は、最初とは別人で、長い顔とぎょろっとした目は同じだが、役柄がまるで異なり、その程の差によって俳優としての存在が浮き出されて、第一印象など、あくまで一面でしかないと人物の側面が照らされた。


拍子抜け、そんな言葉を、ぼやっとした顔に、半開きの口が何度も表し、出来事に対して直接怒るわけではなく、どこかしら遠回しに、自身の中で沸々起こったものが態度に表れるから、発作的ではあるが周囲を見ての行動ではなく、自身の内の不安と迷い、それに生活の窮乏による生きるための執念が混在して、こぼれた物を慌てて拾うような滑稽な人物を見事に演じきっている。


戯画のように性格の濃く表れた各登場人物が、浮世の都合の良さを生き生きとした表裏の顔で演じていて、陰での愚痴や良からぬ相談が、話題にされている当人に聞こえてしまう場面などは、ありがちなことだ。思想はないが、意見を述べることだけには長けている、と昔の有名な人に評される一般大衆らしく、表でも裏でも、適当に口がまわり、職を失った伊藤雄之助は、「はぁ」などと気の抜けた言葉でやりくりする。意気地がないようで、これは優れた対処なのだろう。


普段の生活でも、驚くべき噂話を聞くことがある。話している当人は、話題にしている人に聞こえていないと思っているらしいが、他の人が聞いていることに気づけない。聞かれてはよろしくないことを、まわりの人は、やはりあまりよろしく聞いてはいないものだ。表と裏の使い分けが稚拙で、それだけ裏で話していたら、だれに対してもそんなに裏で話す人物だと証明することになってしまう。それに、そんな人は配慮が足りないから、本人に聞かれる不手際をわりにするものだ。陰口はしかたがないから、周囲に聞こえないようにするのが、本当の配慮というものだ。できなければ、黙るか、直接本人にぶつけたほうがまだいい。無理な注文にしても。


などと、愚痴が愚痴を生む連鎖のように、この映画で日頃のことを思い出し、置かれた石を持ち上げて、もぞもぞ動き出す生き物のように、ついつい蠢いてしまう。


この映画は、そんな陰湿にはなく、愛すべき滑稽さと一抹の寂しさを含めて観賞者に飲み込めるよう仕立てあげられている。この映画で、日頃の鬱憤も「はぁ」と呆けて、飲んでしまうのが良いだろうと納得させられるように。


あと、もう一つ気づいたことがあり、昨年の2月、3月での市川崑監督特集で、各作品ごとに受けた印象が思い出された。音楽がとても良いのだ。調べてみれば、この作品は黛敏郎で、当然のように良質な音楽で飾られるのが昔の映画だと思っていたら、少し特別だったのかもしれない。


改めて、映画に関わる人々の質の高さに、昔を見上げてしまう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る