4月4日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで伊藤大輔監督の「王将」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで伊藤大輔監督の「王将」を観る。


1948年(昭和23年) 大映(京都) 93分 白黒 35mm


監督:伊藤大輔

出演:阪東妻三郎、水戸光子、三條美紀、滝沢修


知らないわけではなく、かじったことはあるが、自分には合わない、というよりもセンスが見当たらないとおもえる事がある。歌や字などは、センスがないことを自分で承知していても、それでもかまわず近づこうとする好ましさはあるが、釣りや将棋などは、上達する自分がとてもイメージできず、趣味とならないことは生まれながらの定めのように思えるほどだ。


そのかわり、能條純一さんの漫画「月下の棋士」が好きで、将棋に対しての造詣がないから、描写される将棋盤や一手に対してまったくの無理解のまま読み、効果的な画からうける影響だけで物語を楽しんだ。知らなくても没入できる漫画だったが、将棋についての知識があったらより味わえるのだろうか。柴田ヨクサルさんの漫画「ハチワンダイバー」とは違った棋士そのものの個人が深く描写される重苦しい展開が、将棋という、よく知らないからこそ、苦手な数学という学問に対する絶対の真理への畏敬の念のようなものを抱かせた。


これが仮に麻雀の映画だったなら、嶺岸信明さんの漫画「麻雀飛竜伝説 天牌」を読みながら、麻雀牌の並びと場の動きを大まかながらも読み取ることができるのは、趣味としてではなく、一時的なアルバイトとして接していた経験がものをいう。


また、小畑健さんの漫画「ヒカルの碁」となると、ルールさえわからずとも、綺麗な線の絵による話で碁盤の宇宙を感じ、それに川端康成の小説「名人」が読まれると、鬼と時がむき出しになったような、一対一の戦いが生み出す形式による崇高な作品となる。


高校生の頃、ゲームセンターに通いつめて、格闘ゲームで戦い、見知らぬ他人と何度も時間を共有したのを思い出した。それと比べては、あまりの程度の差に見劣りしてしまうが、一対一の勝負、将棋や囲碁には、これが大前提なのだろう。


戦いにはライバルがいないと盛りあがらない。だから、この映画でも、「月下の棋士」でも、「ヒカルの碁」でも、好敵手の存在により、2つの動機が切磋琢磨して、数奇であり、味わい深い人間関係を紡ぎ出すのだ。それは森川ジョージさんの漫画「はじめの一歩」や、三浦建太郎さんの漫画「ベルセルク」にも見られる人物の対角線と螺旋だろう。


この映画は、初めて対峙してから十数年経ち、名人という名によって二人が勝負以外で顔を合わせ、礼儀正しく胸襟を開き合う場面こそ醍醐味がある。かたき、この存在がなによりも成長の糧となる。


落語のように人情味があるも悲しいおちに終わる映画を観て、将棋や碁の、ルールはわからないが、こういう物語に心を惹かれるのは、おそらく、自分にはそういう存在がおらず、戦ってきた人生がないからこそのあこがれであるのかもしれないと考えた。中島敦の小説「李陵」や、ニコライ・ゴーゴリの小説「タラス・ブーリバ」に惹かれるのも、内気で臆病で、人情のない今までの人生が、理想を求めて、直情的で、荒くれ者だが、人情深い登場人物の生き様を、眩しく見ているからかもしれない。


人との関わりこそが人生……、わかっているが、ついつい避けようとしてしまう。これが定めなどと言って、釣りや将棋にしてしまっては、自分という存在は変わらない。それが良いのか、悪いのかわからないが、まずはやってみないといけないと、思いもしていないのに、思ってしまう。

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