3月30日(土) 広島市中区銀山町にあるケーキ屋「ムッシムパネン」でマルジョレーヌを食べる。

広島市中区銀山町にあるケーキ屋「ムッシムパネン」でマルジョレーヌを食べる。


この日は仕事があり、職場での年に一度の確認作業のあと、広島駅近くにあるホテルでこの季節の宴の名を冠した懇親会があった。


午前に作業を終え、社員各自で懇親会場所へ移動する。例年なら同僚の車に乗って場所へ向かっていたのだが、今年はなんだか、時間ぎりぎりまで来週の仕事をするよりも、はやめにきりあげて、本来は休日であるこの日の本然の自分の動きをしたかった。週明けのことなんざ、今やろうが、後にやろうが、そう変わらない。


すこしはやめに一人職場を出て、集合場所へ向かう。広島電鉄に乗り、マーラーの交響曲第5番の第3楽章を聴きながら京橋川を渡ると、ふと、こうしようとおぼろげに考えていたことに形がはまる。


稲荷町で降り、再び京橋川を渡り、ムッシムパネンを覗いたら、席は空いている。


マルジョレーヌとマイルドブレンドコーヒーを頼み、外の見える席に座る。11時過ぎに場所に着けばいい。時間は10時40分だ。


マルジョレーヌは、上部表面にヘーゼルナッツと薄いチョコがにこにこと置かれていて、柔らかいチョコで覆われている。フォークでさすと、ぱきっとヒビが入るのではなく、生地に比重がかかるので、やや潰れるかたちになる。ビターなチョコで、幾つもの層に重なる生地はアーモンドの薫りが散りばめられていて、十日市の「オーブ」のような各層に明確な風味と性格が刻まれるような境界線の作りではなく、穏やかで、口当たりからじわりじわりと広がる、なんだかゆったりした味だ。


それにコーヒーをあわせて、時計を気にしつつも、のんびり食べる。こんな日に、あくせく働いて、忙しく移動するもんじゃない。そんな都合のよい言い訳を頭に並べて、客の少ない店内で、まだ朝日のすがすがしさの残る窓を眺めながら、いくぶんの罪悪感に心を揺らせながら、分針との距離が近い時間を過ごす。


店を出て、マーラーの交響曲第5番の第4楽章を聴きながら再び京橋川を渡ると、風がやや強く、着慣れない背広がなびき、ネクタイが首に巻き付いて、肩によりかかり、川面いっぱいに波紋が向かってくる。


集合場所へ着くと、「わたしたちより早く出たのに、着くのが遅かったじゃない」と同僚にやはり訊かれる。「いやぁぁ、迷っちゃって」と笑ってごまかすと、あとは皆々笑ってそのまま。


けれど頭の中では、「迷うったって、道に迷ったわけじゃなく、血に迷ったんですよ」と、やはり言い訳をする。天気も良いし、京橋川沿いは春が芽吹いているし、真面目に働いちゃいけない無礼講の日なんだから、こういうズルも穏やかだろう。

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