3月29日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでフィリップ・ヴィトマン監督の「ニンホアの家」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでフィリップ・ヴィトマン監督の「ニンホアの家」を観る。


2016年 ドイツ 108分 カラー Blu-ray 日本語・英語字幕


監督:フィリップ・ヴィトマン


今日は穴だらけだった。強烈な睡魔により、映画の前半は気が挫けそうになるくらい眠っていたかった。それは体調がそうさせたのもあるが、映像もそのように流れていた。


上映開始後に入場して、まず目に映ったのは、ヴェトナム人らしき二人の女性が固定されたカメラの中で、屈み込み、向かい合って作業をしていた……、というふうに記憶しているが、定かではない。


家の中の棚を拭いたり、水田に農薬を散布したり、老婆が座っていたり、映画の情報を得てこないから、わからない。静かではあるが、衰退によるおさまりのようであり、終息へ向かう諦めのように、ワンカットは時に長く、退屈にも思える。ヴェトナムの、自然のある家の風景の日常が、椰子や芭蕉に輝き、裸足で両膝をつけてかがみこみ千本くらいありそうなお香の束を燃やしたり、片足をぶら下げてハンモックに沈んだり、食卓に十人近くの高齢者ばかりの家族を囲んでごはんを食べたり、霊媒師がクチで死んだ親類の霊について述べたり、夢の話が長々と話されたり、親類の三人が、どうして結婚しなかったと話していれば、結婚を忘れていた、墓場で思い出すだろう、おじも忘れていただろう、そして、わたしは忘れるのが上手だったと……。


ヴェトナム戦争がキーワードとなっているらしい。


前半は水に垂らした仕掛けにいくども引かれるように目を覚まし、会話が多くなり、登場人物を覚えてきた後半は推測をつけて画面に集中して、最後に、親類の一人が紙を持って画面に立ち、親類の一人一人についてやや棒読みに素性を述べていき、映画は終わる。


どこの家も、こんなものだろう。三世代が暮らす家、使われる部屋と使われない部屋、未来を予期して用意された家、未来を見損なって放置された家、これはすべてにあてはまる。予期した未来は、無精者には、一度だって訪れない。常に、予期しない未来の中で現実を歩み、それでも未来を見て、違ったところへ歩いていく、それが一般市民だ。


眠くなって当然のドキュメンタリー映画だ。自分にとって何も珍しくない、うんざりする日常の退屈さと、老年の重たさに占められている。それでも、何かこの映画からひっかけられるのは、ヴェトナムの植物の輝き、空をたくさん飛び交う蜻蛉の魂の動き、明るい砂にささやかな波の重なり、皺の多い人間達だ。


すべてが劇的で、波乱万丈じゃない、けれど、忘れるのが上手とうそぶく程度の人生も悪くないと諦めているのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る