11月24日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでフィリップ・ガレル監督の「現像液」を観た。
広島市映像文化ライブラリーでフィリップ・ガレル監督の「現像液」を観た。
監督:フィリップ・ガレル
出演:ベルナデット・ラフォン、ローラン・テルジェフ、スタニスラス・ロビオル
今日も上映前にゲストトークがあり、映画研究している方の話が約10分ほどあった。映画を観る視点が興味深く、自分にはない知識と経験により、使う言葉が自分と大きく異なっていて、細部まで鑑賞眼がいきわたり、多少衒学的で、また遠慮なく専門用語を使うので、幾分退屈で眠気が出そうになるも、同じ位置の能力を持っているなら、とても興味深く聴けるだろうなという話だった。
上映前にすべての話し言葉は注ぎ込まれたような映画だった。サイレント映画で、音楽も削がれているので、無音が続く。それは観客から発される緊張感ある音が続くことを意味し、乾燥して鼻腔が狭くなた鼻から、ピー、ピー、と鳴り続ける人がいたり、頻繁に小さく鼻をすする人がいたり、ごそごそ動く人がいたりと、めったに味わえない空間の中で、コントラストの強い象徴的な白黒映像が続いた。
眠くなるかと思ったが、むしろ眠くならなかったのは、音に対してしつけされる空間において、映像の美しさと面白さに注意を要するからだろう。サイレントだから退屈すると思っていたが、現代美術館で観る映像のように、物語や会話から離れた、より原初的な映像表現に観衆の姿勢も正された。
映画は面白いなと思った。表現の幅が広く、身近に観られる商業映画とは異なった個性のある作品が、こんなにもあるのだ。自分の幅を広げてくれる。細かい奥底まで考えられて作られているのだと少しは気づけるようになっただろうか。言葉、音楽、線に色彩、建築、芸術から工芸にいたるまで、一つだって考えつくされていないものはない、そんな当然のことに気づかされるのは、いつだって面白い。
ゲストトークで話していた言葉が、いくつか頭に残っている。それをたよりに、枠が広がるか。映画はあくまで、映像表現だ。音がないところから始まった、動く画像の純粋な表現だ。そのことを知れる映画とゲストトークだった。
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