11月2日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで黒澤明監督の「生きる」を観る。

広島市映像文化ライブラリーで、黒澤明監督の「生きる」を観る。


今月と来月はシナリオ作家橋本忍さんの特集が行われる。昨日の黒澤明監督の「羅生門」から始まり、体調不良でしかたなく見に行けず、今日は体調を戻して観てきた。


重苦しい展開が続き、志村喬さん演じる渡辺勘治が亡くなるまでは、台詞と動きがもどかしく、苛立ちを覚えるほどだった。演技があまりにも巧みで、死を突きつけられて動揺する見苦しさと滑稽さが痛々しい。


前半の医師の診断前の他人の小話から、死の宣告を自覚して絶望していく姿が、笑い事ではない現実に対して笑うべきでないのに、他人事なので笑ってしまう場面が多く、いつかそんな笑っている自分さえ笑えなくなる時がくることを見据えての演出のようで、内心は冷めた笑いで、決して笑えるものではない。


生きることは何か、真っ直ぐに考えさせられる。ミイラとあだ名を付けられるほど真面目に30年間息子の為に働き、人生は一体何だったのだろうかと、近づいた死を前にして考えさせられる主人公は、とあるきっかけから目的を見つけて、生きることを取り戻す。それは今まで生きてきた人生とは異なった、生き方となる。


自分の生活と置き換えてしまった。たまたま自分の心情の答えとなるようなタイミングだった。とはいえ、平凡に暮らしている人なら誰でも、ついつい奮起したくなる作品だろう。


多少冗長に感じる作品で、後半の回想シーンなどは間延びしたように思えてしまうけれど、遺影の前で酒を飲んで適当に会話をする者たちも、いずれは死ぬもので、儚さが室内を支配している中で、志村喬さん演じる重苦し死そのものが蠢いた生の結果である異常な力の強さを感じることができる。


生きるとはどういうことだろうか。簡単だけれど、極めて難しい。常に死を頭にぶら下げて生きるほど、気力、体力、意志とは持ちにくい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る